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キャリこれ

未来を切り拓くIBMの「学び続ける文化」(後編)

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連載記事

2022.8.2


■記事前編は、こちら

Q:  さきほどからお話に出ているTHINK40について、もう少し詳しく教えて頂けますか?

THINK40は、社員が年間最低40時間を学ぶことに使いなさい、というプログラムです。
数値化されると、つい人間はそれを追いたくなりますよね?プログラムがスタートした直後は、全世界の中で誰がどれだけ学習しているのか、どの国は40時間達成したとかしそうだとか・・・要はビジネス目標のようにトラッキングして、大騒ぎになりました。それを聞いたロメッティ(CEO)が、当時の人事のトップに対して「それは私の意図に反している。社員が自発的に学ぶことが大事」と言ったそうです。その発言によって、形式的なトラッキングは止まりました。
現在は、社員自身がYour Learningのトップ画面で自分の学習の進捗をリアルタイムで見ることができますし、マネージャーもチームメンバーの学習状況をダッシュボードで把握することができます。それにより、量と質、何をどう学んでいるか、という点をマネージャーとメンバーが会話し、獲得すべきスキルの目標設定や支援を行う糸口としています。
学習時間(量)の面でも、THINK40が提唱されて数年後には、年間40時間を学習に充てることは当たり前として全社に浸透してきましたので、2020年から、さらに80時間をSuper Learner, 120時間以上をChampion Learnerと呼び称賛する仕組みも導入し、楽しみながら学習時間を積み重ねていくこともできるようになりました。ちなみに国別の比較をすると、日本はここ数年、社員一人当たりの学習時間もSuper Learnerの割合も、全世界の中でトップという嬉しいデータがあります。

Q:  世界的にも日本の企業の社員は学ばないというデータでも出ていますが、御社で日本がトップになったという理由は何だったんでしょうか?

日本人の勤勉性は大きな要素だと思います。どこの国のIBMでも共通のプログラム、ツールが与えられている中で、「やりましょう」と決めたものをきちんとやり遂げ、身に付けていくのは、日本人の強みであると実感しています。
また、「学習」の定義を弊社は非常に広く捉えています。研修を受講する時間だけではなく、例えば本を読んだり、本日このようにお話させていただいたりすることも、アウトプットしつつ皆さんの色々な問いから私も学ばせていただいているので、今日のこのインタビューの時間もTHINK40に登録できます。
THINK40は、社員にとって自分が成長するために何をインプット、アウトプットするべきかを真摯に考えるきっかけになったと思います。たとえば、毎年何百時間も学んでいる社員の話を紹介するセッションをすると、忙しい日常で時間を捻出し学ぶコツや、会社から与えられたものから派生して自主的に学ぶ秘訣を披露してくれます。人間が本来持っている「学びたい欲求」をうまく引き出す環境が整い、それを多くの社員が活用してくれていると思っています。

Q:  THINK40というグローバルの活動のもとで、日本独自の取り組みはされていらっしゃいますか?

はい。グローバルのデザインのもとで、それを補完する日本独自の取り組みを行っています。例えば「学びウィーク」という、年2回2週間、全社で様々なプログラムを集中的に提供して学ぶ機会をつくる取り組みがあります。製品やテクノロジーのスキルを学ぶプログラムは、グローバルで作られ、縦方向のビジネスラインで展開される場合が多いため、英語コンテンツが主であったり、日本の状況とのギャップもあったりします。
「学びウィーク」は日本独自で開催しますので、エグゼクティブが日本市場を念頭にわかりやすく戦略とテクノロジーを語ったり、若手社員のキャリア開発や学び方に関わる話を先輩社員が行ったり、様々なレイヤーで学びの機会を提供しています。この取り組みも「互いに学び合う」という企業文化から生まれたものです。全社のラーニング関連部門が事務局として一応仕掛けは作りますが、実際にセッションを担当するのはほとんど現場の社員なんですよ。
(聞き手 酒井:そうなんですか!)
大部分のプログラムが、現場の社員やエグゼクティブが良いと思うものを「学びウィーク」という場を利用して提供する形になっています。なので、より現場の社員にとって価値がある、旬なものをタイムリーに学ぶことができる利点があります。このような取り組みは、研修部門で一括して予定を立てて企画・開発から実施まで行うとすると、膨大な時間と手間がかかってとても実施できないと思います。

Q: 社員の皆さんが学びたいことを人事として支援されているということですね。
あるいは社員のスキルを向上させるFuture Skillingという取り組みもされているかと思いますが、その背景や内容はどのようなものでしょうか?

Future Skillingは弊社のコンサルティング部門で3年前から実施している取り組みです。テクノロジーの変化で、市場のスピードよりも速くお客様に価値のあるものをお届けしなければいけないという問題意識から「未来に必要なスキルは何か」を提示し、そこに向けて社員を「Re-Skilling」「 Up-skilling」「 Cross-skilling」という3つの枠で育成していくプログラムです。
Re-skilling」はいま、流行り言葉になっていますが、現在持っているスキルを対極にあるものへと転換するのは並大抵のことではありません。試行錯誤の結果、より近いところにあるスキルや「隣接的なスキル」を身につけていく方が速く移行できて効果があり、本人にとっても負担なく次のステップへ行けると考えました。
また「Cross-skilling」はスキルの軸を変えるのではなく、軸足を2本3本と新たに持ちましょう、という考えです。そうすることで担当できるエリアが広がり、より大きなビジネスに参画できるという特徴があります。
Up-skilling」は一つのスキルを高めていくということです。
なお、Future Skillingの展開当初は、「Re-skillingは今持っているスキルが否定されたような気がする」という社員の意見が多数寄せられたが、今はポジティブに捉えられるようになったと聞いています。

Q:  Future Skillingを導入された際には社内コミュニケーションを大事にされたということですね。

変わるということは時に痛みも伴うものですので・・・。「現業が忙しい中でさらに新しいスキルを身に付けなければいけないとはどういうことなんだ」と思っている社員も少なからずいると思います。そういう痛みには共感できます。だからこそ何事にもトップのコミットメントや支援が肝要で、私自身がTHINK40導入の際にCEOがメッセージを発してくれたことで勇気づけられたように、1人ひとりの社員がRe-skillingやUp-skillingをしていく時には、自分の所属長、部門のトップあるいは社長が「この方向で間違っていない」と会社がコミットしていることを伝え続け、その先にある会社や社員の姿をイメージできるようにすること。メッセージは1回では伝わらないので、本当に「伝わるまで言い続ける」ことが施策を根付かせるために大切だと思っています。

Q: リーダーがメッセージをしつこく発するということも御社で受け継がれて来たことなんでしょうか?

CEOのメッセージ発信の仕方は、実は人やその時代によって特徴があります。
ガースナーCEOの場合は、社内改革を強力に推進しましたが、あまり全社員に語りかけるようなことはなかった印象です。次のパルミサーノCEOの時には、社員全社員宛のメールが頻繁に送られて来ました。ロメッティCEOになると、今度はビデオメッセージが多用されるようになりました。現在のクリシュナCEOになってからは「オフィスアワー」といって毎月1回社員とライブで話をします。質問を事前に受け付けてバンバン答えていくやり方で、「いま何が大事か」「どんなスキルが必要か」といった話をしますが、このようにトップが直接メッセージを発することは本当に大事なことだと思います。
また、クリシュナも日本IBM社長の山口も学び続ける姿勢を自ら実践し、それを社員に伝えます。山口が「社長になってから人生で一番勉強している」と新入社員に話してくれたことが、ラーニング担当としてとても嬉しかったです。

Q: 素晴らしいですね! トップが率先してやっていらっしゃると共に伴走者(Your Guides)を重視されていますね?

Your Guides:社員30万人から、自分の伴走者を自由に選べる!
弊社では先ほど申し上げたように、キャリア自律とパーソナライズを基本としており、キャリアの主役は社員一人ひとり、そして伴走者はマネージャーです。マネージャーが自分のチームメンバーに寄り添い、キャリア開発を支援する。マネージャーの役割はタレントビルダーであるという考えが根底にあります。
ただ、社員が様々な経験を積む中で、所属長の目線だけではなく、横や斜め上、下、うんと上といった様々な方向からの支援も有効です。この考えに基づき、本人が望めば「Your Guides」という仕組みを使って、世界中に約30万人いる社員から自由に自分の伴走者を選ぶことができます。Your Guidesは昨年展開を始めた新しいツールで、徐々に浸透させようとしている最中ですが、ちょっとした悩み相談を直属の上司ではない人に対して行えることで心理的に安全な場を増やすなど、活用の仕方は様々ありそうです。多くの社員が利用することで今後面白い展開が期待できると思っています。

Q:  Your Guidesが導入された背景や理由はどのようなものだったでしょうか?

弊社には、昔からメンタリングやコーチングの仕組みがあったのですが、マッチングに多大な労力を要していました。AIの活用が進展してきたことも関係して、「やってみればいいじゃないか」といったアジャイルな考え方が社内に浸透してきたのが、導入の理由として大きかったと思います。
時間をかけて緻密にマッチングを行っても、実際にメンタリングを始めてみたら全く合わないということは多々あります。計画に時間をかけるよりも社員自身が自由に相手を選び、もし合わなければまた別の伴走者を見つければいいという「アジャイルな働き方・考え方」がスキルのひとつとして生まれたことも背景としてあります。

Q: 「アジャイル」が御社の中で浸透して来た理由や背景はどのようなものだったのでしょうか?

「アジャイル」はもともとシステム開発の用語ですが、世の中の動きがますます速く、変化の激しいものとなり、働き方・考え方にも適用されるようになりました。弊社では、アジャイルを戦略的スキルの一つに位置付け、その手法を活用しています。当初は、無計画で走り出しダメだったら止めるようなやり方に思えましたが、学ぶほどに奥行きのある考え方で、優れた面がたくさんあると実感しています。さきほどご説明した、AIの薦めに基づいてまずメンタリングをしてみて、メンターと合わなければまた違う人にアプローチするマッチングの仕組みも、その柔軟さの好例だと言えます。

Q:  御社の大きな特徴であるAIは、ラーニングの取り組みの中でどのように活用していらっしゃいますか?

Your Learning、Your Career、Your Guidesという社員のキャリア育成に関わるプラットフォームは、全てAIベースになっています。その他の人事関連のシステムでもAIを活用しています。そこでやっていることは徹底的にデータを読み込んでレコメンドすることですが、最後に決めるのはもちろん人です。Your Learningの場合、登録した自分の興味分野、職種、自分と同じ職務等級の人が学んでいるものや、自分が今まで学んできたプログラムなどのデータをIBMが開発したAIであるWatsonが学習し、次に学ぶべき内容をレコメンドしてくれます。レコメンドされた社員はそれを良いと判断したらやってみるし、今は必要ないと判断したらやらない、という使い方をしています。

Q: AIを活用する上での効果と課題は、どのようにお考えですか?

効果の点では、約30万の社員のデータ蓄積をもとに速やかに分析をしてレコメンデーションしてくれるのは、何ものにも代えがたい魅力だと思います。一方で、AIを研修以外の人事的判断の支援に活用する場合、使う側のリテラシーと倫理感が非常に重要になります。

Q: 獲得したスキル、資格、経験を証明して公に示すことができる電子バッジ(Digital Credential)である「IBMオープンバッジ」を導入されていらっしゃいますが、導入の背景をお聞かせください。

オープンバッジも、Your Learningと同じタイミングで導入しました。その利点は、ラーニングと同様、獲得したスキルの可視化をする点です。Your Learningには、THINK40で掲げた学習の足跡を見えやすくする機能がありますが、オープンバッジも自分が持っているスキルが眼に見える、とても簡便な方法です。それまでは修了証を発行したり、証明書を取得して人事記録に登録したりといったことが必要でしたが、オープンバッジの導入で、より手軽に登録できるようになりました。

Q: バッジという形で可視化されることで自分の市場価値の理解にもつながるという効果がありますね。

市場価値を客観的に説明することはなかなか難しいのですが、バッジを持つことで自分のスキルを確認でき、それを励みとしてより高度なスキル獲得、資格取得等にチャレンジし、さらに自分の価値を高めるということは、キャリア自律のために必要だと思います。

Q: 人的資本経営やキャリア自律がキーワードとして広がる中で「エンゲージメントを高める」という問題意識も高まっているように感じています。御社の中でエンゲージメントを高めるための工夫や施策などをされていますか?

エンゲージメントは永遠の課題ですね。昨年若手社員にサーベイを行ったのですが、我々が悩んだのは「何を狙って手を打てば効果があるのか?」という対象を知ることでした。調査を通じてわかったことは、社員が求めるものは豪華で楽しいイベントや処遇よりも、「自分たちのキャリアを向上させるための機会・支援が欲しい」ということでした。
そこでYour LearningやYour Careerを社員が使いこなすためのセッションや、先輩社員からのキャリアや学習へのアドバイス、メンタリングの推進などを行いました。ただ、どの対象に手を打てばどう響くのかは、いつも苦労しているというのが正直なところです。
そのために、毎年全社員を対象としたエンゲージメントサーベイを実施し、そこから見えてくる課題への対応を継続して行っています。2点目として、アワードや褒賞の仕組みを社員が使いやすく魅力あるものへと毎年進化させています。3点目として、社員のエンゲージメントを高める上で組織や人との関わりの要素が強く、リーダーの果たす責任は大きいと思います。マネージャーやリーダーが、社員の成長に寄り添い、キャリアを実現するための支援をし、より良いチーム作りをすること。マネージャーの行動が変われば、社員のエンゲージメントに影響する。
弊社は、それを信じて愚直にやり続けており、マネージャー研修やリーダーシップ開発にも非常に力を入れています。

Q: 御社が「IBM Community」という形で、社員の皆さん向けのセミナーに社外の人も一緒に入る取り組みをされているのは素晴らしいことですね。

現在のIBM Community Japanの形になったのは最近のことですが、お客様やパートナー様と一緒に学ぶ取り組みは昔から行ってきました。お客様の視点、パートナーの皆様の視点、社員の視点で一つのテーマを多角的に見ることは、社員だけでは決して成し得ない大きな成果を生み出します。それを現在の形にしたのは、山口が社長に就任した時に、冒頭でご紹介した日本IBMのグループビジョンでも謳っている通り、お客様、パートナー様や社会とともに未来づくりへの取り組みを進化させたい、という思いがあったことだと感じています。加えて、コロナ禍での新たな働き方・学び方によって様々なプログラムをデジタルコンテンツとして残せるようになり、アセットとして共有できることも、推進力となっているように思います。

Q: では最後に、現在多くの日本企業がジョブ型の方にシフトしようとしていますが、藤本様の視点から「ここは大事ですよ」と思われる点をお話いただけますでしょうか?

弊社は最初からジョブ型だったので、あまり意識せずにこれまでやってきましたが、振り返って大事だと思える点は、まず、人材育成、スキルやキャリアは決して人事の領域ではなく「ビジネス領域である」ということです。ジョブ型の制度に沿ってスキルを整理する際に、「ビジネス領域の話」だという点を強く意識したからこそできてきたと思っています。
2点目は、文化を醸成するために「経営トップからメッセージを出し続けること」の大切さです。それは並大抵のことではないですが、根気強く続けることで社内に伝播し、社員が腹落ちすることへと繋がったと思います。
3点目は、テクニカルな話ですが、スキル、学びやキャリアの徹底的な可視化です。これにより、特に若い世代はモチベーションを上げたり公平さを感じたりするので、可視化の仕組みを整備していくことは重要だと思います。