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キャリこれ

未来共創人材を育む「さとのば大学」 ~宮城県女川町 地域コーディネーター&在学生の声~(前編)

インタビュー

連載記事

2024.12.13


「『地域』というメガネで見通すキャリアのこれから」の連載第6回目。今回は、前回ご紹介した“地域を旅し、実践しながら学ぶ「さとのば大学」の後編をお届けします。 
今回、インタビューしたのは、宮城県女川(おながわ)町のお2人。地域で学生に伴走する「地域コーディネーター」の後藤大輝さんと、さとのば大学1年生の呉藤岳登さんです。
●インタビュー・執筆:NPO法人ArrowArrow代表 海野千尋
●編集:日本マンパワー 緒方雪絵
後藤大輝さん

後藤大輝(ごとう たいき)さん プロフィール

さとのば大学地域コーディネーター
NPO法人アスヘノキボウ代表
1994年生まれ。東日本大震災を機に、大学在学中に女川町に移住。2016年10月にアスヘノキボウ入社。女川町の活動人口の創出に取り組んでいる。女川町の社会課題をテーマとした企業研修、さとのば大学 女川事務局等のコーディネーターを務める。
2020年8月「(屋号)オナガワーシカ」を個人事業主として開業し、新たな地域の資源としての「鹿」の流通に取り組んでいる。三陸リアス式ジビエ協同組合に所属し、食肉処理施設(女川町)の運営にも関わる。

呉藤岳登さん

呉藤岳登(ごとう たけと)さん プロフィール

さとのば大学1年生
石川県加賀市出身。さとのば大学への進学を機に宮城県女川町に移住。現在は女川町で教育インターンや町のお祭りに携わり様々な活動を行っている。

【インタビュー】
 さとのば大学 地域コーディネーター 後藤大輝さん編

1.前例が通用しないからこそ、チャレンジができる!
~復興の街・女川町から~

(1)NPO法人アスヘノキボウと、さとのば大学のつながり
海野:
後藤さんは、宮城県女川町のNPO法人 アスヘノキボウを運営されているんですよね。さとのば大学には、どのようなきっかけで関わるようになったのでしょうか。
NPO法人アスヘノキボウ https://asuenokibou.jp/
後藤さん(以下、敬称略):
私達アスヘノキボウは、東日本大震災後、創業者の小松洋介(こまつようすけ)が、女川町の復興支援のために起ち上げたNPO法人です。「女川町の復興が、今後の日本の社会課題解決に貢献していく」との想いを持ち、活動を続けてきました。
そういった中、2016年、さとのば大学の前身である地域共創カレッジ(地域共創カレッジ (tomotsuku.org) )が立ち上がり、都市部と地方の未来を共創する環境をつくっていく取り組みに共感し、連携してきました。その連携が、さとのば大学にもつながっています。
海野:
後藤さんは、さとのば大学の地域コーディネーターとして、普段学生とどのように関わっているのでしょうか。

後藤さんと学生との様子

後藤:
この女川には、2023年には4人、今年2024年は5名の学生が来てくれています。学生たちとは、月に1-2回マンツーマンでメンタリングをし、何を考え何に困っているのかを聞き、フォローする機会をつくっています。学生たちは、初めて女川にやってくるケースが多いので、精神面でのフォローだけではなく、生活の基盤づくりの方もサポートしています。
親元を離れて一人暮らしをしている学生たちが、食事や睡眠など生活リズムがつくれているか折に触れ聞いたり、地域と関わる場(地域行事・アルバイト等)の接点をつくったり…。暮らしと学び、それぞれコーディネートしています。

(2)女川町震災復興の動き
海野:
女川町の震災復興の動きについて教えてください。
後藤:
女川町は震災によって大きな被害を受けました。復興にあたり、女川町は「還暦以上は口を出さないまちづくり」を掲げ、地域に住む30・40代の若手が、行政と民間の垣根を越えて動いてきました※。
※女川の復興に向けて、2011年、アスヘノキボウ創業者小松氏が女川町復興連絡協議会に入会。当時の女川町復興連絡協議会会長が還暦だったこともあり、女川町の未来を生きていく次の世代にまちづくりを任せ、還暦以上の人たちはその動きをサポートしようという動きがありました。
復興の特徴の1つは、高い防潮堤(潮位の上昇による陸地への被害を防ぐために築かれる堤防)をつくらないと決めたこと。復興計画の中で、「これからも海と共に生きる」と、町議会で合意形成をし、「つくらない」と決めたそうです※
※女川町では、「陸と海を遮るものを作らず、町全体をかさ上げする」という方針のもと、商業エリア(標高4.4メートル)、住宅エリア(標高17-18メートル)の階段構造での再建が行われました。

女川町女川町

海野:
復興の動きや変化を、後藤さんはどのように感じていますか?
後藤:
私が女川に来たのは2013年以降ですが、大きいところで、3つの動きを感じました。1つはこの地域に住む皆さんの危機感が高まり「何かを変えなければいけない」という意識が醸成されていること。2つめは、周辺地域から、人・物資といった支援・資源が集まってきていること、3つめは、未来に向かって新しいものを生み出そうとする環境があることです。
未曽有の大震災により、「前例にないことはできない」という言い訳は、もうできないような状態でした。「新しい未来を創りたい」という「欲しい未来」のイメージを実現しやすい環境があるように感じました。
その他、建物やインフラなどの部分は着実に復興が進み、「日常」が戻っているという良い変化があります。一方で、元々抱えていた課題でより顕在化してきたものもあります。

後藤さん後藤大輝さん

海野:
顕在化してきた課題とは、どのようなものでしょうか?
後藤:
1つ目は、産業の要である水産業です。三陸の海は世界三大漁場の1つですが、海水温の上昇により、漁獲量が減少しています。以前と比較すると、ホヤは1割、ホタテは2割、牡蠣は6-7割程度しか獲れていません。水揚げが減少傾向にあるだけではなく、養殖も厳しい状況です。加えて、処理水問題などによる風評被害も起こっています。
2つ目は教育についてです。人口6,000人強のこの町では、保育所から中学校まで人間関係がほとんど変わりません。人と関わる範囲が狭いことにより、コミュニケーション力や、「自分の力を発揮できる」といった自己効力感を持ちにくいように感じています。家・学校以外で多様な人たちと触れ合える場をいかにつくるのかが課題です。
海野:
さとのば大学の学生が女川に来ることで、新しい人が町に流入し、教育の課題にも寄与しているのですね。

2.地域に対して情熱を持っている人を応援したい、増やしたい

(1)後藤大樹さんのキャリアと女川との関わり
海野:
後藤さんご自身のキャリアやこれまでのご活動を教えてください。
後藤:
私は東京で生まれ育ちました。東日本大震災を経験したのは、高校2年生の時でした。その2年後の2013年、友人の誘いでボランティアとして、南三陸を始めとした東北地域に初めて訪れました。津波によるがれきが撤去された後の更地を見て、そして、仮説住宅に住む皆さんとお話しする中で、津波被害や災害について考えることがたくさんありました。
でもそれ以上に、地域の皆さんが力強く生き、想いをもち活動している姿が強く印象に残りました。この人たちの近くで、この地域に貢献できることはないだろうかという想いが生まれました。

NPO法人アスヘノキボウ創業者の小松さんと後藤さんNPO法人アスヘノキボウ創業者の小松さん(中央)と後藤さん(右)

その後、女川での創業支援プログラムを受けてみようと決意しました。プログラム運営団体が、今所属しているNPO法人アスヘノキボウでした。創業者の小松は、当時、世界中の被災地を回り、復興への過程を調べていました。地震・台風・経済危機など危機的状況になった地域がその後どのように復興してきたのか、それを女川の復興に活かしていました。
「被災地」として起こったことが、やがて知見として蓄えられ、他地域の復興に活かされていくという状況を知り、僕もこの活動をやりたいと強く思うようになりました。その後、大学在学中から女川町に移住、2016年にアスヘノキボウに加わり、2022年から代表をつとめています。
海野:
後藤さんが、さとのば大学の学生に求めていることはありますか?
後藤:
実は、「こういうことをやりたいんだ!」と決意して、女川に来る学生はそんなに多くないんです。でも、実際に目の前で困っている人を見て、話を聞いて、多様な人たちと現場で協働する中で、「自分に何ができるのか」という意識がつくられていきます。
さとのば大学での学びによって、学生の中でそういった想いや考え方が育っていく…。そこに可能性を感じています。

地域を想う人、地域のために行動できる人がいて、地域はより良い方向に進んでいくんじゃないかと思います。僕自身、そういった情熱を持っている人がとても好きです。

(2)今いる場所の未来に対して、自分は何ができるのかを考える
海野:
女川町の未来にはどんなイメージをもっていますか?
後藤:
昔の話になりますが、不動産・林業の会社である磯村産業株式会社の役員の方が、この女川町の出身で、昭和初期に地域を盛り上げようと、女川港開発事業をつくったと聞きました。震災の前も後も、地域に想いを寄せる人たちが、より良い未来に向かって行動しています。
「自分が住み暮らす地域が大事だ」と思う人を増やしていきたいです。そういう人たちと地域がより楽しくなるような活動をしていけたらと願っています。
海野:
未来を見据えて動いている人たちがいるからこそ、街が変わっていくのですね!
後藤さん:
震災以降「津波伝承 女川復幸男(おながわふっこうおとこ)」というお祭りもできました。「女川復幸男」は、市街地中心部から山の高台まで、走って逃げきることがゴールです。「津波が起こったら、高台に逃げる」ことを後世に伝えていきたいという想いから、伝え続ける方法を検討した結果、お祭りとして伝承していけるよう企画されたものです。
祭りの内容に、批判もありました。しかし、再建地域の中には、もし再び津波が来たら、流される可能性がある地域もあります。内容の重要性はもちろん、「どうしても伝え、残していきたい」という情熱に共感し、私達もこのお祭りを関係者と一緒に盛り上げています。
海野:
女川で暮らし働く人のことを想い、行動してきた人たちの結果が、未来の女川町にも繋がっていきますね。

後藤:
僕自身は東京出身ですが、東京に故郷を感じることはありませんでした。東北に移住し女川で活動をする中で、多くの人の想いに触れ、地域に関わるという想いを育ててもらったような気がしています。
【後編】に続く

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