●編集:日本マンパワー 緒方雪絵
後藤大輝(ごとう たいき)さん プロフィール
さとのば大学地域コーディネーター
NPO法人アスヘノキボウ代表
1994年生まれ。東日本大震災を機に、大学在学中に女川町に移住。2016年10月にアスヘノキボウ入社。女川町の活動人口の創出に取り組んでいる。女川町の社会課題をテーマとした企業研修、さとのば大学 女川事務局等のコーディネーターを務める。
2020年8月「(屋号)オナガワーシカ」を個人事業主として開業し、新たな地域の資源としての「鹿」の流通に取り組んでいる。三陸リアス式ジビエ協同組合に所属し、食肉処理施設(女川町)の運営にも関わる。
呉藤岳登(ごとう たけと)さん プロフィール
さとのば大学1年生
石川県加賀市出身。さとのば大学への進学を機に宮城県女川町に移住。現在は女川町で教育インターンや町のお祭りに携わり様々な活動を行っている。
【インタビュー】
さとのば大学 地域コーディネーター 後藤大輝さん編
~復興の街・女川町から~
後藤さんは、宮城県女川町のNPO法人 アスヘノキボウを運営されているんですよね。さとのば大学には、どのようなきっかけで関わるようになったのでしょうか。
私達アスヘノキボウは、東日本大震災後、創業者の小松洋介(こまつようすけ)が、女川町の復興支援のために起ち上げたNPO法人です。「女川町の復興が、今後の日本の社会課題解決に貢献していく」との想いを持ち、活動を続けてきました。
後藤さんは、さとのば大学の地域コーディネーターとして、普段学生とどのように関わっているのでしょうか。
後藤さんと学生との様子
この女川には、2023年には4人、今年2024年は5名の学生が来てくれています。学生たちとは、月に1-2回マンツーマンでメンタリングをし、何を考え何に困っているのかを聞き、フォローする機会をつくっています。学生たちは、初めて女川にやってくるケースが多いので、精神面でのフォローだけではなく、生活の基盤づくりの方もサポートしています。
女川町の震災復興の動きについて教えてください。
女川町は震災によって大きな被害を受けました。復興にあたり、女川町は「還暦以上は口を出さないまちづくり」を掲げ、地域に住む30・40代の若手が、行政と民間の垣根を越えて動いてきました※。
女川町
復興の動きや変化を、後藤さんはどのように感じていますか?
私が女川に来たのは2013年以降ですが、大きいところで、3つの動きを感じました。1つはこの地域に住む皆さんの危機感が高まり「何かを変えなければいけない」という意識が醸成されていること。2つめは、周辺地域から、人・物資といった支援・資源が集まってきていること、3つめは、未来に向かって新しいものを生み出そうとする環境があることです。
後藤大輝さん
顕在化してきた課題とは、どのようなものでしょうか?
1つ目は、産業の要である水産業です。三陸の海は世界三大漁場の1つですが、海水温の上昇により、漁獲量が減少しています。以前と比較すると、ホヤは1割、ホタテは2割、牡蠣は6-7割程度しか獲れていません。水揚げが減少傾向にあるだけではなく、養殖も厳しい状況です。加えて、処理水問題などによる風評被害も起こっています。
さとのば大学の学生が女川に来ることで、新しい人が町に流入し、教育の課題にも寄与しているのですね。
後藤さんご自身のキャリアやこれまでのご活動を教えてください。
私は東京で生まれ育ちました。東日本大震災を経験したのは、高校2年生の時でした。その2年後の2013年、友人の誘いでボランティアとして、南三陸を始めとした東北地域に初めて訪れました。津波によるがれきが撤去された後の更地を見て、そして、仮説住宅に住む皆さんとお話しする中で、津波被害や災害について考えることがたくさんありました。
NPO法人アスヘノキボウ創業者の小松さん(中央)と後藤さん(右)
後藤さんが、さとのば大学の学生に求めていることはありますか?
実は、「こういうことをやりたいんだ!」と決意して、女川に来る学生はそんなに多くないんです。でも、実際に目の前で困っている人を見て、話を聞いて、多様な人たちと現場で協働する中で、「自分に何ができるのか」という意識がつくられていきます。
女川町の未来にはどんなイメージをもっていますか?
昔の話になりますが、不動産・林業の会社である磯村産業株式会社の役員の方が、この女川町の出身で、昭和初期に地域を盛り上げようと、女川港開発事業をつくったと聞きました。震災の前も後も、地域に想いを寄せる人たちが、より良い未来に向かって行動しています。
未来を見据えて動いている人たちがいるからこそ、街が変わっていくのですね!
震災以降「津波伝承 女川復幸男(おながわふっこうおとこ)」というお祭りもできました。「女川復幸男」は、市街地中心部から山の高台まで、走って逃げきることがゴールです。「津波が起こったら、高台に逃げる」ことを後世に伝えていきたいという想いから、伝え続ける方法を検討した結果、お祭りとして伝承していけるよう企画されたものです。
女川で暮らし働く人のことを想い、行動してきた人たちの結果が、未来の女川町にも繋がっていきますね。
僕自身は東京出身ですが、東京に故郷を感じることはありませんでした。東北に移住し女川で活動をする中で、多くの人の想いに触れ、地域に関わるという想いを育ててもらったような気がしています。
働き方・働くことに関する企画・編集。NPO法人ArrowArrow代表。複数の場で「働く」を実験中。
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