社員の「心の状態」が、組織の競争力を左右する時代がきた~スポーツドクター・辻秀一がいま伝えたい、「ごきげんマネジメント」の本質~
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2026.9.3
オリンピアンをはじめ、数多くのアスリートのメンタルサポートに携わってきたスポーツドクターの辻秀一先生は、「何を行うかだけでなく、どんな心の状態で行うかが、パフォーマンスを大きく左右する」と、30年前から提唱してきました。著書「スラムダンク勝利学」は2000年の発売以来、今も版を重ねるロングセラーになっています。
※辻秀一氏のお名前の「辻」は、一点しんにょうが正式表記ですが、媒体の表示環境の都合により、本記事では常用字体で表記しています。
辻先生の「心の状態」に関する理論は、近年、スポーツ界だけでなくビジネスの現場からも注目を集めています。背景にあるのは、AIの台頭です。知識や分析力といった認知的なスキルの多くをAIが担うようになり、人間固有の価値がどこにあるのかが、改めて問われているからです。
多くの企業が「これからの時代に必要な人材とは何か」を模索するなか、辻先生が説く「心の状態を自らマネジメントする力」は、その問いに対するひとつの明確な指針になります。
人事や人材育成に携わる人ならぜひ理解しておきたい、「ごきげんマネジメント」について、お話をうかがいました。
1「気合と根性」から「心の質」へ
● パッチ・アダムスの言葉が開いた転機
辻氏:私はもともと内科医をやっていました。大学時代には体育会でバスケットボールをやっていましたから、気合と根性で朝から晩まで働く毎日。どれだけ量をこなせるか、どれだけ長く頑張れるかがすべてだと思っていたのです。
でも、どんなに頑張っても一日は24時間しかありません。量を追えば必ず限界が来る。医者になって30代になった頃、その限界に薄々気づき始めていた時期に、笑いやユーモアを治療に取り入れたアメリカのドクター、パッチ・アダムスの講演を聞く機会がありました。彼が言っていたのは、「質を決めているのは、自らの心の状態だ」という内容でした。それが、むちゃくちゃ私の心に刺さったのです。

今まで心や質なんて無視して、勉強も仕事も気合と根性で量を追求してきた自分を振り返ることができた。
その日から「心の状態とパフォーマンスの関係」の研究を始めました。やがて、勤めていた慶應病院を辞めてメンタルトレーニングの専門家として独立し、今日に至ります。
2なぜ今、「心の状態」が経営課題になったのか
辻氏:かつての日本では、「メンタル」といえばメンタルヘルスのことで、ネガティブな状態を治すという発想が主流でした。私が提唱してきたのはそれとは異なり、すでに十分に機能している人が「さらに質の高い状態」を作り出すための、積極的なトレーニングです。
心の状態というと、精神論や気の持ちようの話だと思われがちですが、実際は違います。心の状態のマネジメントには、脳の使い方が重要になります。思考の訓練をすることで、初めて心の状態が変えられるようになる。逆に言えば、その練習をしていないから、自分の心の状態を自分でマネジメントできないのです。

● 認知の脳と非認知の脳
人間には2種類の脳の使い方があります。
一つは「認知の脳」。何をすべきかを考え、分析し、計画し、やるべきことを実行させる脳です。外界の情報を取り入れながら、PDCAサイクルを回して、行動を決めるのは、この脳の使い方です。
そしてもう一つは、「非認知の脳」。自分の内側を見つめ、心の状態を整える脳の使い方です。
問題は、私たちが認知の脳ばかり使って生きていることです。自分ではコントロールできない物事の結果や、他人や未来のことまで頭に詰め込んで考え続けるため、心はどうしてもストレスを溜めやすくなる。この「マインドレス状態」が、仕事の質にも悪影響を及ぼすのです。
人々の多くがこうした状態に陥っているところに、AIが登場しました。AIは「認知のスーパースター」と言っていい存在で、人間の脳はもはや敵わなくなりつつあります。では、人間の価値はどこにあるのか? AIが苦手とする「内面の心や感情を自分でマネジメントできる能力」こそが、これからの時代の人的資本の核心になるでしょう。
私が30年にわたって言い続けてきたことが、AI時代になって、より切実なテーマとして浮かび上がってきたのです。
3ビジネスパーソンが「心」に向き合わない理由
辻氏:私はスポーツドクターとして、オリンピアンをはじめとする多くのアスリートのメンタルトレーニングに関わってきました。トップレベルのアスリートは、体のトレーニングと同じように、心のトレーニングも日々のメニューに組み込んでいます。毎日の練習の一部として、当たり前に継続しているのです。
(1) アスリートと会社員の違い
ところが、ビジネスの現場ではそうはなっていません。心のトレーニングを日々の習慣として組み込んでいる人は、まだまだ多くありません。
それはなぜか?
一つには、仕事の成果に関わらず、毎月、一定の給料が振り込まれることも影響しているでしょう。
アスリートは、残念ながらそうではありません。試合に負け、成果を出せなければ、戦力外通告を受け、競技を続けられなくなることも珍しくありません。
アスリートは、心技体の三つ全てを整えることで、最大限のパフォーマンスを発揮できること、ゆえに「心」を整える重要性を十分に理解しているのです。
一方、会社員は、心を整えず、不機嫌になって仕事の質を落としても、職を失う可能性は低い。
アスリートと会社員では、置かれている環境、切迫感が違うのです。
だから「会社員は心を整えなくていい」と言いたいのではありません。仕事の質を高めたい、自分の在り方を向上させたいと思っているなら、やはり、心を整える「思考の習慣」を身につける必要があります。
(2) 外側に頼らない「ごきげん」のつくり方
飲み会やサウナ、カラオケも気持ちを切り替える一つの方法です。
しかしそれは、外側の出来事に頼った心の整え方です。
一方、思考の習慣として心の整え方を身につければ、いつでもどこでも、自分ひとりでパフォーマンスを存分に発揮できる状態を作り出せます。

私はこれを「ごきげん」と呼んでいます。仕事の質を高め続けるには、この力が重要になるのです。
そして、この力を持つ社員が一人また一人と増えていくことが、チーム全体のパフォーマンスを変えていきます。
社員の「心の状態」は、組織の競争力に直結するのです。

また、ビジネスパーソンには、タイパやコスパを重視するあまり、「一瞬でごきげんになるツール」を探そうとする傾向もよく見られます。
しかし残念ながら、そんなものはありません。アスリートが技を繰り返し練習して自分のものにするように、心を整える力も一朝一夕では身につきません。だからこそ、まずは「知る」ことが、変化の出発点になります。
4「続けられる人」は何が違うのか
辻氏:心の状態を整えるために、私が大切にしている思考の習慣が5つあります。
①自分の感情にきちんと気づくこと
②ごきげんでいることの価値を意識すること
③今、ここの自分を思考すること
④目標よりも目的、つまり「なぜ」を問うこと
⑤表情や態度、言葉を、周りに対してではなく自分の心のために選ぶこと
こうした思考の習慣を意識すると、「そうか、心の状態が質を決めているのか」「たしかに自分は、過去や未来のことばかり考えていたな」といった気づきが生まれてきます。その瞬間に変化は始まっています。
ただ、その気づきが続く人と、続かない人がいます。私が主宰するコミュニティでも、何年も心のトレーニングを継続している人もいれば、わずかな期間で離れていく人もいます。
長く続く人と、そうでない人の違いについて、見えてきたことがあります。
それは、「なりたい姿」や「在り方」が自分の内側にあるかどうか、という違いです。
● 継続を支える「なりたい姿」
偉くなりたいとか、売上目標を達成したいといった外側の目標ではありません。
肩書きを全部取り払って、何も持っていない状態になっても、「自分はどういう人間でありたいのか」という問いに、自分なりの向き合い方をしている人です。
アスリートでも、勝ちたいだけの人よりも、自分のなりたい姿のために競技をしている人の方が、心のトレーニングは長続きします。
ビジネスパーソンの中にも、肩書きや数字の前に、自分がどうありたいかを大切にしている人が確実にいます。
日々のタスクに追われ、自分はどんな在り方で生きたいのか、なんてことを考える余裕がない、という人も少なくないでしょう。そして、「なりたい姿」より「やるべきこと」を追いかけているうちに、時間だけが過ぎていってしまう。
でも、もしその状態を変えたいのであれば、知ることが、大きなきっかけになります。
「ごきげん」という状態について知り、日常の中で意識してみたり、気づいたことを誰かに話してみたりする。
そうやって、自分の内側にある「なりたい姿」を、少しずつ探っていく。
知ることは、そのための最初の一歩なのです。
5変化は2割から始まる
辻氏:私が様々な企業の組織文化づくりに関わってきた経験から言うと、どんな組織でも、こうした考え方に最初から向き合う人は2割程度です。6割は様子見で、残りの2割は、「そんなものは必要ない」と思っているものです。
でも、最初の2割が本気で取り組んでいると、様子見をしていた6割の人も次第に影響を受けていきます。やがてそれが社風になり、組織の文化になっていきます。まるでオセロのようなものです。黒が優勢でも、まず角を確保して、地道に白を増やしていくと、一気に大半が白に変わる瞬間が来る。
だから、はじめから全員を変えようとしなくていいのです。まずは変わりたいと思っている人に、良質な知識と気づきの機会を提供する。それが組織を変革していくための最初の一手です。

人事や人材育成に携わる人たちは、そのきっかけを生み出すことができる立場にいます。
どんな組織でも、「自分の心を整えたい」「なりたい姿のために働きたい」と思っている人は必ずいます。その人たちに変化の機会を届けることが、結果として組織全体の底上げにつながっていくのです。
| 「ごきげん」というのは、うれしいことがあったときの一時的な気分の高まりではありません。
揺らがず、とらわれず、自然体でいられる心の状態のことです。 そして、声の掛け方が変わり、人を見る目も変わり、マネジメントの質が変わっていきます。
社員の「心の状態」に目を向けることが、組織の競争力に直結する時代が来ています。その変化の火を灯すのは、人事や人材育成に携わるみなさんの行動なのです。 |
株式会社日本マンパワーでは辻秀一先生に監修いただいたeラーニング「最高のパフォーマンスをつくるごきげんマネジメント」を提供しております。
エン・モア合同会社代表。編集者/ライター。ビジネス誌のインタビューを中心に幅広いテーマの記事を執筆。
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