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キャリこれ

Criacao Shinjuku×日本マンパワー クラブパートナータイアップ特別企画! トップアスリートの“キャリアのこれから”~キャリアコンサルティングのプロが紐解く、小林祐三が歩み続ける理由~【前編】

インタビュー

対談

2021.8.6


6月下旬。日本マンパワー社内にて、クリアソン新宿小林祐三さんと弊社キャリアコンサルティング事業本部取締役田中稔哉のインタビューが行われました。
目的は、両社のパートナーシップのあり方を広く発信していくこと。小林さんがこれまで大事にしてきた価値観、クリアソン新宿で実現させたい想い、それらがどのような背景からうまれたのか。弊社田中が、キャリアコンサルティングならではの問いかけを駆使し、深堀りを進めていきました。
皆さんもぜひ、小林さんのキャリアストーリーをご一緒に紐解いていくような気持ちで読み進めてみてください!
〇ゲスト
Criacao Shinjuku/株式会社Criacao
小林 祐三 氏
〇インタビュアー

株式会社日本マンパワー キャリアコンサルティング事業本部取締役
田中 稔哉
〇編集
株式会社日本マンパワー マーケティング部
小池 由里子

今回の手法は、小林さんにぴったり!?

まずは、田中から今回のインタビュー手法の背景について説明がありました。
田中:「キャリアストーリーインタビュー」という、キャリア構成主義の理論で有名なキャリア理論家マーク・サビカスが提唱している手法があるのですが、今回はそちらを使って進めてみます(マーク・サビカス博士へのインタビューは、こちら
小林さんの過去のいろいろなインタビュー記事を拝見し、この手法がとてもフィットするのではと思っています。小林さんは内省的で、じっくり考えながら話されるような姿勢をお持ちなのが伝わってきましたので。
そもそも構成主義は、事実があるのではなくて、「人が意味づけるからそれは事実として見なされる」という考え方なんです。割とお好きなのではと思うのですが。
小林氏:もう大好物ですね。楽しみです!
田中:たとえば椅子は、金属でできている足が四つと背もたれがあって……と、形としての事実はありますが、これを人が座るもの、椅子であると意味付けているから椅子になる。椅子をまったく知らない人から見たら、これを人が座るものだとは思わないかもしれない。社会構成主義はそういう考え方なんです。
キャリア構成主義は、その考え方をキャリアに持ち込んでいます。キャリアも、その人が自分自身のキャリアをどのように意味付けているかが重要になる。アップやダウンという概念はなく、自分が自分のキャリアをどう思っているかが大事なんだ、という考え方です。まあ、まずはやってみましょう。
小林氏:ちょっと緊張しちゃいますね。

田中:まず一つ目の質問。自分が思い出せる範囲での、子供の頃の一番古い記憶ってありますか?6歳より前くらいのイメージなのですが。

小林氏:保育園の年少さんの時ですね。保育園に行きたくなかったので、ある日の朝、園服を隠して「園服がないから保育園に行けない」という仕掛けをつくったんです。皆でバタバタしながら園服を探しているうちに、だんだん両親の機嫌が悪くなってきて。
ついに僕は耐えられず、自分のおもちゃ箱からくしゃくしゃになった園服を取り出しました。「こんなところに園服が!」って。もう白々しいにもほどがあるのですが(笑)。その時の母親の表情や、しまっていた木製のおもちゃ箱などをすごくよく覚えていますね。
田中:面白いですねえ。そのできごとに見出しを付けるとすると、どんな言葉が付けられそうですか?
小林氏:園服事件、ですかね。
田中:園服事件(笑)。なくなった園服を皆で探している中、結果的に自分で服を取り出されたということですが、その時はどんな気持ちでしたか?
小林氏:とにかく耐えられなくなった。保育園に行かなくていいという選択肢はもうなさそうだな、と諦めた気持ちがひとつ。あとは、母の機嫌が悪くなっていったので、これはまずいぞ、という気持ちもありました。
田中:私には幼稚園に行きたくなくて、電柱か幼稚園の柱かなんかにつかまって泣いている記憶があるのですが、それについての私の意味づけは、「見捨てられた」です。今思うと、お前は家にいなくていい、と言われているかのように感じていたのかなと。
ほとんどのことは忘れてしまうのに、あるできごとが記憶に残っているというのは、そこに何らかの大事な想いがある、ということなんですよね。そういう面から見ると、今回の小林さんのお話について、その後の人生においても「こういうところに繋がっているな」と感じるようなことはありますか?
小林氏:自分から園服を取り出したのは偉かったなと思います。自作自演でしたが、悪いこと、通用しないことをしたと自分で気づき、行動を変えることができた。親に見つけられるまで園服がおもちゃ箱に入っていたのと、自分で箱から取り出したのとでは、少し意味が違ったんじゃないかな、と今になって思います。
自分から取り出さなかったらなにか大事なものを失っていたかもしれませんよね。もう一つくらい思い出せることはありますか?

父親との数少ない思い出

小林氏:僕が小学校1年生のときに、サッカーを辞めそうになったことがあったんです。サッカーは大好きでしたが、コーチが割と厳しめで一ヶ月ぐらい練習を休んでいました。
僕の父親は、団塊世代ということもあって仕事が非常に忙しく、一緒に遊んだ記憶がほとんどありません。でも僕がコーチにあれこれ言われてやる練習が嫌で練習を休んでいたある日、公園に連れていってくれたんです。好きなようにボールを蹴っていいから、と日が暮れるまで付き合ってくれた。「サッカーが好きなら、頑張ったらいいんじゃないか。自分の好きにやったらいい」と。そこからまたサッカーの練習に行けるようになりました。その時の、どこでボールを蹴ったか、どんなことをしたか、公園の砂場の風景も、とてもよく覚えています。
当時は深く考えませんでしたが、大人になる前に振り返った時、ああ、あの時父親が一緒に公園へ連れてってくれてすごく助かったな、と気づきましたね。
田中:その後練習に戻っても、コーチは変わらずに同じ人がいるわけですよね。なにか違いはありましたか?
小林氏:チームメイトが変わらずに優しくしてくれました。本当にいいチームで、今でも年末に集まるなど、付き合いがあるんですよ。もしもチームメイトたちに冷たくされていたら戻れなかったのかもしれませんし、コーチもコーチで厳しくも変わらず接してくださったので、余計な負い目を感じることもなくまた入っていけた、というのはありますね。
田中:周りの方の小林さんへのやさしさが伝わってくるお話しですね。その公園でのできごとには、見出しを付けられますか?
小林氏
なんでしょう。父と……なんですかね……恥ずかしいですね、これ。なんか大喜利みたいだ(笑)。コピーライティング能力がすごく試されているような気がします。
田中:コピーとかそんなんじゃなく、きれいな言葉でなくてもいいんです(笑)。
小林氏:でも、本当に数少ない、父との幼少期の記憶なんですよね。
田中:ポイントは、めったに会わない父親と一緒にいたというところにあると思いますが、「好きに蹴らせてくれた」という点も大きいのでしょうか?
小林氏:父はまったく運動ができなくて、もちろんサッカーもやったことがないから、サッカーについてなにか教えられるようなことはないし、実際に教えるようなこともしてこなかった。でもそれが、当時の僕にとっては却って良かったと思います。ただ、父親本人はこの話を一切覚えていないんです(笑)。
田中:別のインタビュー記事で、小林さんはミスをしたときに、その場面をコマ送りで見るとおっしゃっていたじゃないですか。キャリアコンサルティングも同じようなことをするんです。職場の場面で、今なにか思い出すことはないか?と質問して、本人がちょっと気になっている場面をコマ送りで振り返る。すると、会議に出てもつまらない話ばかりだからイライラしている、といった話が出てきたりする。
そのようなネガティブな感情が出てくるというのは、そこにその人が欲している状態や、願いがあるということなんです。キャリアコンサルティングではそれを明確にしていくために、「会議に腹が立った」と言われたならば、この人の望んでいる会議はどんな状態なのか?と考えるわけです。
人が思い出すことには、感情などがこびりついています。ほとんどのことは忘れてしまう中で、思い出せる食事の風景というのは、食事中に家族と喧嘩したとか、子供が料理にすごく喜んでくれたとか、なにかしらのストーリーがまとわりついているものです。
一番古い記憶には、感情のようなものがくっついていると思います。単なる懐かしさだけではないですよ。嬉しさとか悔しさとかもあるはずです。そういうものがないと、覚えていられないみたいなんですよ。
小林氏:それは、ポジティブな感情も存在しますか?
田中:ポジティブなものも存在します。ポジティブな場合は、願いが叶っている、その人にとってなにか大事なものが満たされている状態ですね。
小林氏:興味深いですね。
田中:小林選手は、その振り返りを一人でされている感じなんじゃないかと思っていますよ。
小林氏:そんな大層な話ではないですよ。でも、幼少期から覚えているもののすべてに、それぞれどんな意味があるだろうかと、興味が湧いてきますね。

田中:二問目です。子供のころに家族以外で憧れていた人はいますか?漫画や物語のキャラクターなど、実在しなくても良いです。できれば二人か三人いると良いのですが。

小林氏:二人います。一人は、90年のイタリアワールドカップで西ドイツ代表の10番でありキャプテンだった、ローター・マテウスという選手です。その時西ドイツが優勝したこともあってか、西ドイツ代表チームがすごく好きだったんです。
あとは、テレビ東京でやっていたドラゴンクエストのアニメの主人公である、勇者アベル。結構本気で憧れていましたね。幼い頃から、アニメやファンタジーものがとても好きでした。サッカーというめちゃくちゃ現実的なものと同時に、そういった非現実的なものに対しての憧れもすごく強かったので、アベルはそういうものの象徴だったかな、と思います。
田中マテウス選手に形容詞を三つ付けるとしたら、どんな感じですか。
小林氏:とにかくなんだかすごかったんです。うまいではなく、すごい。勝者のオーラを纏っていました。あとはとても「将軍感」がありました。
田中:ドラクエのアベルはどうですか?
小林氏:いやー……うーん……難しいですね。ちょっと出てこないですね。

勝つよりも、負けたくない

田中:マテウスだけでも大丈夫です。そのような、子供の頃に初めて憧れた存在の影響は、今でもご自身になにか残っていますか。
小林氏:残っています。自分自身のキャリアを振り返ってみると、やっぱり僕は「負けず嫌い」というワードを避けては通れない。元から嫌いだからしょうがない。負けることがとにかく嫌、という感じだったのですが……たぶん、幼いときに見て憧れたものが優勝したチームの勝者だったから、なんでしょうね。
と同時に、決勝戦で負けたアルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナが、表彰式で子供のような顔をして泣き崩れていたことも、とても印象に残っています。まったく対照的な二人ですが、マテウスと同じぐらいマラドーナも好きでした。負けるのは嫌だけど、負けてもこれだけかっこよかったら絵になるな、とも思いましたね。
田中:小林さんの話を聞いていると、勝者に憧れるというより、表現としてはむしろ負けたくない、負けるのが嫌だっていうほうのワードのほうが強く感じます。重きを置いているのは、勝つことよりも負けないことなのでしょうか。
小林氏:そうかもしれない。そうですね、勝ち好きというよりも、負けず嫌いですね。
田中:勝ち負けは生き物としての本能的なものかもしれませんが、「負ける」ということは、小林さんにとってどういう意味がありますか?
小林氏:難しいと思うのは、勝ち負けに執着するような家庭ではなかったんですよね。一家でスポーツ選手は僕一人だけなので、これは遺伝子だ、で片付けられないことがいくつかある。ちょっと異質なものが家庭の中にあるというか。親にとっても僕の取り扱いは難しかったみたいです。
田中:ご両親にとって取り扱いが難しかったからこそ、好きにできた面もあるかもしれませんが、家族の中での異質感があると自分自身で意思決定をしていくしかなかったという側面もありそうですね。

「自分で決める」ということ

小林氏:そうですね。最後に親が僕の大きな進路を決めたのは、小学校6年生の時です。両親にクラブチームを探してもらい、入団を決めるまで。その先は中学校から高校へ行くときも、どうやったらプロ選手になれるのかも両親にはわからないので、すべて自分で決めないといけなかった。そんな経験もあって、「自分で決めたからには」という枕詞が自分の中で生まれました。
田中:別のインタビューで、「クリアソン新宿のメンバーは、皆自分で決めてここにいる」といったフレーズを何度かおっしゃっていましたね。もちろんJリーグのチームでも、皆さん自分で決断して加入されているのでしょうが、それとも違うような意味合いを感じました。
小林氏:例えば、横浜F・マリノスに来ないかと打診されたら、断る人はあまりいないと思いますが、残念ながらクリアソン新宿に来ないかと言われても、まずはクリアソン新宿ってどこですか?という状況だと思うんです。
何か言いたいかというと、「そのクラブにいることがすごいか否か」という基準でほとんどのサッカー選手は決めていると思います。自分のキャリアについても、自分はこういうサッカーをしたい、そのためにはこのクラブが一番だと思っており、クラブも自分と契約してくれるからここにいる、とすべて言葉にできる選手はあまりいない。
でもクリアソン新宿は、ここでどんなことをやりたくて、なぜここに入りたいのかを明確に言語化できないと、入ることが許されない。それはサッカーの実力とは別軸の話なんです。逆に、Jリーグは基本的には巧ければ評価されます。
田中:小林さんのインタビュー記事を読んでいると、Jリーグで500試合くらい出ているにも関わらず、フィット感がない、なじめない、といった類の言葉が頻出していますね。
小林氏:フィット感はなかったです。選手がそういう気持ちを持っているって、試合を見ているだけではわからないですよね。わかる必要がないというか。でも、僕はそれが見えたほうがより面白いのではないかと思いますけどね。
幼少期の心温まるような思い出からは、現在の小林さんを形作っている価値観の原型が浮かび上がってきました。子供の頃から感じていた家族の中での異質さが、小林さんが内省される習慣のきっかけとなったようにも感じました。これらの要素が、小林さんの選ぶ未来にどのようにかかわってくるのでしょうか。
後編では、キャリアコンサルティングで用いるワークを通して、小林さんのキャリアのこれまでとこれからをさらに深く伺っていきます。お楽しみに。(小池)
■後編は、こちら