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ジョブ型雇用とキャリアvol.2 より自由で、より公平なキャリアをめざして(前編)

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連載記事

2022.3.22


いま急速に関心が高まっているジョブ型雇用。その現象を多角的に検証し、その本質を考えていくことを目的としてスタートした本連載。第2回は、キャリア政策を専門とされている下村英雄さんへのインタビューを行い、俯瞰的な視点でのご意見を聞かせて頂きました。前編・後編でお届けします。

■下村先生へのインタビュー後編は、
 こちら
下村さんは、現在、厚生労働省の研究機関である独立行政法人・労働政策研究・研修機構の研究員として、政府のキャリア形成支援に関わる研究を主に手掛けていらっしゃいます。近年は、世界的に広がりつつある「Social Justice(社会正義)のキャリア支援」の日本での第一人者として探求や啓発活動をされています。そこには日本の社会も多様化する中で不利益を受けがちな弱者への対応のニーズが急速に生じている、という問題意識が根底にある、とのこと。
本インタビューでは、現在、働き方やキャリアにどのような変化が生じているのか、ジョブ型現象の背景に何があるのか、日本においてどのような方法論がありうるのかを、お聞かせ頂きました。

– 新型コロナというインパクトによって、働き方やキャリアにはどのような変化が生じたと思われますか?

テレワーク、在宅リモートの働き方が絵空事ではなく現実にあるんだ、もう職場に行かなくても働くことができるんだ、と気がついたことは日本のみならず世界的にも大きなインパクトですね。
それに付随して、3つの変化が起こったと思います。まず「物理的な変化」です。オフィスや通勤が不要になった、逆に自宅に情報機器のための部屋が必要になったといった変化です。それに連動して「仕事の進め方の変化」が生じました。無駄な会議が少なくなった一方でチャット等のツール類が多くなったことや、飲み会や雑談が少なくなって仕事だけの話をするようになったことなどですね。
ただ、キャリアをめぐる環境にとって最もインパクトがあったのは、やはり「人間関係面での変化」です。常時人と接する機会がなくなり、良くも悪くも手取り足取り何かするということがなくなったことで、社内社外の人間関係の質のようなものが決定的に変わったと思います。注意が必要なのは、様々な調査でテレワークをやっている人は労働者全体の2~3割ぐらいに留まっている点です。 在宅ワークが定着しているかというとそうでもないんです。つまり実態というよりも意識面での変化が大きいということです。

– その3つの変化によってキャリア観にはどのような変化が生まれたのでしょうか?

テレワークによって1人ひとりの仕事を切り分けることが出来るんだということが明らかになったので、自分の仕事や専門性あるいはスキル・技能を強く意識するようになったと思います。単に職場にいれば仕事になるということではないんだと、はっきり感じるようになったと思います。

– 専門性に対する意識の面では世代間ギャップがあるように思われますが。

おそらく若い人の方がより明確に感じるようになっていると思います。逆に中高年は、自分に専門性がないということを強く意識するようにもなっているようです。その一方、我々が最近行った調査で明らかになったのは、そもそもコロナという状況を一大事と考えるかどうか、その捉え方が人によってずいぶん異なっているということです。我々がいま話しているようにキャリア環境に大きな変化があったと思う層がいる一方で、何とも思ってない人たちも相当数いて、そのギャップは大きいんだろうなと思います。
たとえば地方で勤め先に毎日通いながら仕事をしている人と、都会でテレワークが日常化したような人の間にはキャリアに対する意識や捉え方に大きな格差が生じているように思います。

– その格差によってどういうことが起こってくるでしょうか?

これは深刻だと思っています。コロナのような一大事が起きた時に、それを学習の機会や自分の変化の機会と捉えている層とたいして変化はないと考える層の間では、その後のキャリアのあり方が大きく変わってくると思います。つまり、キャリア意識の格差が開いたことによって、キャリアの展開もずいぶん大きく違ったものになるだろうということです。

– では、本題のジョブ型の話に移らせて頂きます。いま関心が高まっている背景として企業を取り巻く事業環境変化や、それに伴う制度の改編があるようです。なぜ、これほど関心が高まっているのでしょうか、今後どのような展開がありうるのでしょうか?

そこには、広い意味でのグローバル化ということが大きく影響しています。日本のように極端にメンバーシップ型の社会と、ジョブ型の欧米社会とが、グローバル化の進展によって全部混ぜられて変化していくことになると思います。つまり、ジョブ型の社会においてはどんどんメンバーシップ型っぽくなっていき、メンバーシップ型社会においてはどんどんジョブ型っぽくなっていく。社会の制度や仕組みがどんどん標準化・平準化しつつあるように感じています。日本のメンバーシップ型からジョブ型の動きというのは、そういったグローバル化の一環として捉えていく必要があると思います。
例えば、ジョブ型を導入した日立製作所さんの事例も、おそらくグローバル化と連動して議論をされていたのでしょう。そこには、外国人の従業員比率がどんどん高まる中、日本の人事システムと外国のシステムの間に大きな乖離(かいり)が生じてしまったことが背景にあるのではないではないかと思います。すごく大きく捉えると、人事の仕組みのグローバル化とそれに伴う平準化が、日本のメンバーシップからジョブ型への動きの背景にあると思います。
■日立製作所様ホームページ ジョブ型人財マネジメントに関するメッセージ

– それ以外にはどのような要素があると思われますか。

日本の企業には、終身雇用的なものや長期雇用的なものを解消したいという思いが底流に流れていて、それが現在、形を変えてジョブ型という言葉で現れていると考えています。
ただそれは最近始まったことではなくて、これまで長く繰り返されてきました。
記憶に新しいところでは90年代の成果主義のブーム、それ以前は職能給と職務給の違いといった形です。常に、ジョブ(職務)とぴったり対応する形で賃金を払いたいという「組織」が本来もっている本質みたいなものがあるように感じます。だから日本のようにメンバーシップ型に偏っていると、ジョブ型的なものに戻したい組織の要請が常に生じて来るのです。

– 事業ニーズとは関係なく、表面的にジョブ型という仕組みへの関心が広がっているリスクはないでしょうか?

日本でいま行われているジョブ型の議論は、少しおかしいと私は感じています。当研究所所長の濱口が各方面で啓発していますが、ジョブ型というのは本来、雇用契約のあり方で、職務の方に賃金がくっつくというのが基本です。その本来的なジョブ型の観点から言えば、いわゆる「日本的なジョブ型」との間に大きな乖離があるのではないでしょうか。
私が見たところ、最大の問題はジョブ型を成果主義だと理解してしまっている点です。ジョブ型イコール成果主義と理解してしまうと、間違いが生じてしまいます。これまでの成果主義が果たしてうまく機能したのかを、改めて立ち止まって検証する必要があるのではないでしょうか。

– なぜ、成果主義と混同してしまっているのでしょうか?

先ほど触れたように、メンバーシップ型に偏って来た職能給的なものを成果主義的なものに変えたい日本の組織の根本的な方向感があると思います。それがグローバル化やテレワークが急速に進展している社会の雰囲気と合致して「最新バージョンはジョブ型だ」ということになっているのではないでしょうか。

– 成果主義と混同されたジョブ型が導入されるとキャリア形成にも影響が出てきますね。

出て来ると思います。ただ本来的なジョブ型は個人のキャリア形成にとっては良いことだと思っているんです。自分で働きたい場所、組織を選んで自由に移動しやすくなります。その結果、働く個人は組織に対して交渉力が強まります。また、ワークライフバランスが取りやすく、ワークキャリアとライフキャリアのバランスをもっと積極的に取っていこうという方向にも向かいます。また、リカレント教育や生涯学習あるいは職務能力開発のレバレッジや効果もジョブ型の方が発揮しやすいので、スキルの更新、今の流行り言葉でいうとリスキリングがしやすくなります。それによってミドルシニア問題の解消にもつながります。本来のジョブ型では、個人の属性はあまり関係なくなります。ですので、中高年になっても働き続けられるという意味で皆働きやすくなると思うんですね。
ただ、そこに成果主義が入ると話はガラッと変わってしまいます。例えば、完全に歩合で働く従業員をイメージすれば分かりますが、極端に競争主義的になることが、必ずしも組織にとって良い影響を及ぼすとは思いません。ワークキャリアとライフキャリアのいずれにも良いことはないとは思います。仕事に対するモチベーションも競争に駆り立てられることで表面上高まるように見えますが、それが果たして良いことなんでしょうか・・・。

– いまリスキリングと言われているものはハードスキルのこと例えばDX(デジタルトランスフォーメーション)を指します。その一方でソフトスキルが置き忘れられていく危険性はないでしょうか?

その通りです。人間の本質として集団に属すると競争してしまいます。だから成果主義で拍車をかけて競争的なものなのを煽り立てると余計トラブル含みになってしまうと思います。
組織の役割は、むしろ、つい競争をしてしまう人間の毒々しいエネルギーを一つのポジティブな方向にまとめ上げて動かすことではないでしょうか。その人間のエネルギーを正しい方向に向けることが組織やリーダーの役割だと思います。行き過ぎた成果主義は単に人間の悪い性質を増幅させるだけで、あまり功を奏しないと思います。

– 逆に日本の中で受け継がれてきたようなソフトスキルが消えてしまうリスクもありますね?

さきほど平準化が生じてると言いましたが、ヨーロッパよりも極端なジョブ型のアメリカで、ソフトスキルやヒューマンスキルがどんどん重視されています。アメリカにおける人事システムの平準化の一つの現象で、日本人が思うようなすごくドライなジョブディスクリプションがあって自分の仕事だけをやっていればいいといいうことではなくて、チームで協力するといった、もともと日本の企業が強みとして来たソフトスキルをどんどん取り入れています。
なので、日本がわざわざそこを捨てる必要はなく、ジョブ型を成果主義的に取り入れることによって職場がギスギスしてしまうことのデメリットの方が大きいと思います。

– なぜか日本は、既に欧米が見直したものを周回遅れで取り入れてしまう傾向があるようですね。

私もそう思います。ただグローバル化によってバランスが取れ、制度のデコボコが取れるような方向に向かっている、と理解すべきです。極端なメンバーシップ型の日本はジョブ型の方に移っていくし、欧米はメンバーシップ型的な要素を取り入れていく、と。

– 大きな流れでいけば、制度の平準化が進むのは良いことである一方で、それが間違った捉え方をしていくと大きなリスクが発生するということですね?

日本はジョブ型イコール成果主義と理解したがる向きがあります。今となっては、もしかしたら本来のジョブ型の本質を知りながら、あえて意図的にそのように(成果主義的に)言っているようにも感じています。

– 今おっしゃった「意図的に言っている」のはなぜなんでしょうか?

最終的には「ジョブ型」ではなく、成果主義の方を言いたいからではないでしょうか。本質的には日本のメンバーシップ型のあり方を直していきたい、という切実なニーズがあるのだと思います。むしろ、そちらが重要なのであって、ジョブ型という言葉の正確な理解や使い方は二の次になっているということではないでしょうか。

■インタビュー後編は、
 こちら