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ジョブ型雇用とキャリアvol.3 より自由で、より公平なキャリアをめざして(後編)

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2022.3.25


いま急速に関心が高まっているジョブ型雇用。その現象を多角的に検証し、その本質を考えて行くことを目的としてスタートした本連載。第3回目は、キャリア政策を専門とされている下村英雄さんへのインタビュー後編をお届けします。
■下村英雄さんへのインタビュー前編 こちら

―いまジョブ型かメンバーシップ型か、欧米型か日本型か、どうしても議論が極端に振れていますが、日本の労働社会の中でどのようにソフトランディングしていったら良いでしょうか?

「ジョブ型」と言うと、何か特別なもののように思われますが、正確さを犠牲にして、あえてざっくり言えば日本でいうパートやアルバイトの働き方だということです。限定された職務に賃金がついて、コストも固定されている。つまり日本で正社員だと言われて来た人たちがパートやアルバイトのような働き方をするようになる、と考えれば良いわけです。これは日本では「不安定になる」とすごく恐れられるわけですが、大きな社会の流れの変化としてそうなっていくでしょう。

―「正社員がパートやアルバイトのようになる」という点を、詳しく教えていただけますか?

我々の目に見えないだけで、外国の企業の上層部の多くはメンバーシップ型に近い働き方をしています。グローバルに転勤したり、様々な役職を経験したりします。手厚いキャリア支援を受けることもあります。日本は、その「メンバーシップ」の範囲が広すぎるということです。
ですので、日本も最終的には、そこを欧米並みに数を絞って、中間層を成している正社員の人たちが、パートやアルバイトのような働き方になるというのが基本的な方向性なんだろうと思います。

―「パートやアルバイト」というのは、職務に賃金をつけてコストを固定するという意味ですね。

はい。ただ、それをどう日本に入れるかの選択肢は様々です。ジョブ型は単に雇用形態のあり方に過ぎないので、どう運用するかのバリエーションが沢山あるわけです。ジョブ型をまるで終身雇用のように運用する、という選択肢もあります。逆に完全に成果主義的なジョブ型もあります。運用次第では「何でもあり」ということになります。
今、よく言われている「ハイブリッド型」とは、若いうちはメンバーシップ型で、40過ぎぐらいからジョブ型に移行する、ということのようです。それが最も日本の社会ではなじみやすいと考えられているようです。なぜなら新規学卒一括採用を捨てられないからです。
そこまで手をつけてしまうと、日本社会の仕組みをまるごと変えないといけなくなってくるからです。今までのようにまっさらな新卒者が入ってくるので、やはり職業訓練を施さなきゃいけない、ローテーションの権限を持つ強い人事を維持しながら、30代はメンバーシップ型で、40代ぐらいからはジョブ型にして生き残れる人は雇用し続けるけれども、お眼鏡にかなわなくなったら辞めていただくと。こういうことを想定してるのだと思います。
果たしてそれが、うまく行くんでしょうか?

―うまくいかないのはではないか、と思われる理由は何でしょうか?

まず、メンバーシップ型の現在でも、実態として既にそのように運用している企業が多いと思います。しかし、結局、ミドルシニア問題のようなものが生まれてしまっていますよね。ジョブ型を考える際には、どうすればこうしたミドルシニアの問題が生じないようにするかが重要であって、ミドルシニアに転出してもらう方便としてジョブ型を運用するのでは、若い年代の従業員にその意図が見透かされてしまうのではないでしょうか。

―日本では、制度を導入する一方、その運用がおろそかになる傾向があるようですね。

確かにどんな制度を入れても、文化や風土があって、日本的に運用してしまうということがあると思います。ただ、日本の社会風土に照らした場合、可能性があるジョブ型とメンバーシップのハイブリッドは、日本人に馴染みがあるところでは、公務員制度の仕組のような感じではないかと思います。キャリア組はメンバーシップ型で働き、ノンキャリア組はジョブ型で働く。そういうふうに年齢ではなくて、縦に積み上げる方が日本の文化には合うのではないでしょうか。
多分今のような言い方だと「うちだって昔からそうだしね」と思われる会社も多いと思います。それが採用の段階から分かれて行く、ということです。
欧米で自分よりも若い人が上司に付くのは、身分が明らかに分けられているからです。日本でも、若いキャリア組の警察官がこの前までベテランの刑事の元で修行していたけれども、偉くなって帰ってくるっていうのは、警察ドラマなんかで観ますよね。これなら日本人もよくわかると思うんです。将来、どうなるのかはよく分かりませんが、多分日本でハイブリッドというのは、そういうことではないでしょうか。
ごく限られた人がメンバーシップ型で働き、多少の登用制度はあるにしても、あとの大多数がジョブ型で働くというカタチで積み上がるというのが、良いことか悪いことかは別にして、有りうる形ではないか、と思います。

―ジョブ型の導入によって、1人ひとりがプロフェッショナルになって自分でスキルを更新していく。そうなると、大前提として「自律的なキャリア開発」が重要な経営課題として認識されるようになっていくのではないでしょうか。

これは本当に明らかです。日本の職業構成比としては専門職の割合(2割弱)が他の先進国(4割前後)と比べて圧倒的に低いんです。そこをせめて他の先進国並みにしないといけない。
例えば、日本では営業だと言われると、営業の仕事をしたまま何となくジェネラルな管理職になっていくと思います。それが、欧米では「販売のプロフェショナル」としてキャリアを作っていきます。今後は自分の専門性といったものを自分のキャリアの中で明確に意識しながら、「自分は販売のプロです。営業のプロです。法務のプロです。」といった形で、日本のホワイトカラーも変化していかなければいけないし、自然とそうなっていくのではないでしょうか。

―そのように変化する中で、経営層は「キャリア」をどのように捉えるべきでしょうか?

日本は世界的に見ても、企業が従業員に職業訓練を提供する最たる国なので、そこは捨てない方がいいし、捨てられないのではないでしょうか。従業員に対する能力開発の機会やキャリア開発の機会を引き続き提供していった方が良いと思います。

日本のようなメンバーシップ型では、まっさらで人を取りたいと考えられています。まっさらで取った以上は、何らかの訓練を施さなきゃいけないので、そこはどんどんやっていくべきだと思います。むしろ、メンバーシップ型の社会でキャリア支援も含めて何らかの教育訓練を施さないというのは、メンバーシップ型の社会の強みを十分に活かせていない、ということになります。ここに社会のあり方との齟齬があることが、キャリアの面からは最大の問題になります。

これが本来のジョブ型に向かっていくとなった場合、明らかに教育訓練の中身が変わります。メンバーシップ型の教育訓練とは、基本的には、その企業で活用してもらう企業特殊なスキルを習得してもらうことが中心となります。それはおもにジョブローテーションとOJTで習得させることになります。
ジョブ型の社会では、そうした教育訓練では従業員に不満が募ります。ジョブ型の教育訓練は、むしろ、社外でも通じるポータブルなスキルを習得させるということになります。そして、基本的に従業員自身によるリカレント教育、学び直し、個人のOff-JTが重要になります。その際、職場は、スキルを身につけるにあたってOff-JTでは学べない、実務経験を積む場という位置づけになります。今でも、若い従業員ほど、自分がやっている仕事が将来のスキルの何に役立つのかという意識を強くもちますが、本来のジョブ型では、その傾向はいっそう強まると思います。
ここが矛盾するように見える点でもありますが、従業員が試行錯誤して企業の業績をあげるという、その過程で多くのことを学べる環境を提供するからこそ、その従業員に継続して社内でも働いてもらえる可能性が高まります。もともと社外でも通じるスキルが身につかないような職場では、若手や価値ある人材に見限られてしまうということになります。

―企業内のキャリア支援職、あるいはキャリアコンサルタントは、どのように意識を変化させる必要があると思われますか。

キャリアコンサルタントはマンツーマンで相談にのるということに意識が向きすぎだと思います。一対一で相談に乗ることができるというのはベースとなる重要なスキルですが、その上で、キャリア開発の仕組み全体であるとか、キャリア形成全体を見通すような、従業員のキャリア形成にもっと多様な形で関われるになっていった方が良いと思います。そういった幅広いキャリア開発の専門家として養成していく道筋も必要になって来るでしょうね。

―その場合、社会環境変化への意識をキャリアコンサルタントこそ持っていかなければならないですね。

本当にそうです。社会正義論もその一環ですが、個人を見ながら社会を見て、個人と社会の接点に立つ「個人と社会のインターフェース」を担っているんだという意識がないといけないと思います。だから個人を見ながら社会に対する問題意識を持って解決をするんだという意識は持つことが今後、さらに求められていくでしょう。

―これまでお話を伺って、日本はもっと自由度を持った多様なキャリアや人生の選択肢がある社会にしていかないといけない、という切迫感を感じました。

日本の企業や社会がジョブ型に移行したいと思うのは、これを成果主義的に運用した場合、従業員のモチベーションを上げやすく、外部から良い人材を呼び込みやすいと認識しているからだと思うんです。
しかし、本来のジョブ型は仕事に対するモチベーションとはあまり関係がありません。あくまで職務をこなすということなので。
ですから、本来のジョブ型の社会とは、一部のメンバーシップ型の幹部職とプロフェッショナルを目指す人たち、それに加えて、仕事に必要以上に一生懸命にならず、生活にゆとりを持ってワークライフバランスをとって育児も子育ても全部やって、楽しく人生を過ごす。こういう在り方が選択できる社会だということだと思います。
要は、今よりもいろいろな働き方が可能になるように「自由にする」ということです。
この「自由にする」ということは社会正義論にも関連します。今のメンバーシップ型の働き方だと制約が多すぎるので、もうここで働きたくないと思っても自由に動けません。また、少し勉強したいことがあると思っても、会社をいったん辞めたりできません。さらに少数派の人たちや周辺層の人たちにとっても働きにくくてしょうがないわけです。
垣根をとっぱらって自由にするためには、本来的なジョブ型にしてみんなで職務に紐付けられたような働き方をする方が多様な働き方の可能性が生まれてくるし、リスキルの可能性も生まれてきます。最近、社会正義のキャッチフレーズにしているのが「より自由により公平に」という言葉ですが、より自由になるということはより公平になる、ということだと思っているんです。
■関連書籍 濱口 桂一郎著「ジョブ型雇用社会とは何か: 正社員体制の矛盾と転機」
いまのままだと特権的なメンバーシップ型の雇用に就いた人だけが報われていきます。それは公平でも何でもないので、もっと垣根をとっぱらって自由にした方が、結果的に公平な働き方にもなるだろう、ということを最後に申し上げたいと思います。