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未来共創人材を育む「さとのば大学」1~発起人 信岡良亮さんに聞く(前編)~

連載記事

2024.11.26


「『地域』というメガネで見通すキャリアのこれから」の連載 第5回目。今回は、「学びのフィールド」としての「地域」に着目します。
現在、人口減少時代を迎え、特に地方において過疎化が進んでいます。過疎化は、働く場所の減少、経済の停滞、公共交通機関などのインフラ衰退といった多くの課題を生み出します。しかし、明るい兆しもあります。社会課題の最前線で、自治体・NPO・企業が協力し、課題解決のためのイノベーションを生み出す事例も増えてきています。
また、地域課題や地域活動に関わりたいと思う人も増えています。地域に関わるには、実際にフィールドに出るのが一番。今回は、地域課題や地域活動に関わりたいと思う人が、実際に実践しながら学ぶ場「さとのば大学」をご紹介します。
さとのば大学を創った発起人の方、地域で学生に伴走するコーディネーターの方、そしてさとのば大学生の方。それぞれの立場の方にお話をお聞きしました。
まずは、さとのば大学を創った発起人 信岡良亮さん(以下、信岡さん)のお話からご紹介します。
●インタビュー・執筆:NPO法人ArrowArrow代表 海野千尋
●編集:日本マンパワー 緒方雪絵

信岡 良亮(のぶおかりょうすけ)さん

●1982年生まれ。同志社大学卒業後、東京でITベンチャー企業に就職。大きすぎる経済の成長の先に幸せな未来があるイメージが湧かなくなりその後退社。
●人口2400人弱の島根県海士町という島に移住し、2008年仲間と共に「持続可能な未来へ向けて行動する人づくり」を目的に起業。
●6年半の島生活を経て再び上京。都市側からもアプローチし、都市と農村の新しい関係を創ることを目指し、現在さとのば大学を運営する株式会社アスノオトを創業。
●2023年Forbes JAPAN「NEXT100 世界を救う希望100人」で、世界の課題解決・地域問題解決を志向する「新・起業家」の一人に選出される。

1.キャンパスを持たず、旅して学ぶ「さとのば大学」
―2021年、多くの人の支援を受けて開校したさとのば大学。「地域に暮らす」「プロジェクト学習」など、新しいスタイルの市民大学として、たびたびメディアでも取り上げられています。このさとのば大学の発起人 信岡良亮さんに、さとのば大学の特徴や、さとのば大学の構想に至るまでの経緯などをお聞きしました。

(1)さとのば大学の特徴
海野:まず、さとのば大学の特徴から教えていただけますか。
信岡さん(以下敬称略):さとのば大学のキャッチコピーは”地域を旅する大学”です。学び舎としてのキャンパスは持っていません。学生は1年ずつ住む地域を変え、4つの地域を巡って卒業します。現在、連携する地域は15か所に拡がっており、各地の社会起業家の方々が地域での受入れ窓口を担ってくださっています。
*画像をクリックすると、拡大画面が別にたちあがります
学生は、週3日平日午前はオンラインの対話型講義、その他の時間に「マイプロジェクト」を進めています。この「マイプロジェクト」が、さとのば大学の特徴です。与えられた課題ではなく、自分が気になる問題・課題を起点に、試行錯誤しながら社会と関わっていきます。
海野:“ミネルバ大学(※)” のようですね!
※アメリカ・サンフランシスコに本部がある私立の4年制大学。キャンパスを保有せず、4年間で世界7都市を移り住む。授業はオンラインで受講。
信岡:ミネルバ大学は、学生達が同じ都市に住んでいるのですが、さとのば大学は、学生がそれぞれ日本国内の各地に分散しています。そこが、ミネルバ大学と違う点です。
さとのば大学には、垂直の学び・水平の学びという2種類の学びがあります。学生が各地域に分散していることで、より広い視野で「水平の学び」が得られているのではないかと思っています。
●垂直の学び:各地域で、子どもから高齢者まで全世代と関わり、巻き込んでいくような実践を通じて、地域内部へ深く垂直に関わっていく学び
●水平の学び:全国それぞれの地域で活動する同級生・仲間たちと共に、オンラインで繋がり、広い視野でインプットする学び
(オンラインでつながるだけでなく、年に1回はリアル合宿もして親交を深めている)

(2)気になる課題を起点に学ぶ「マイプロジェクト」
海野:先ほど「マイプロジェクト」がさとのば大学の特徴というお話がありました。プロジェクト型学習に注力されているのは、どういったお考えからでしょうか?
信岡:学習方法と学習定着率の関係性を示す「ラーニング・ピラミッド」(以下の図 )をご存じでしょうか?
人は「座学」より「自ら体験すること」や「人に教えること」の方が学習定着率が高いと、アメリカ国立訓練研究所の研究で分かっています。この学習モデルをもとに、さとのば大学の「マイプロジェクト」では、自らプロジェクトを企画し、実践レベルを段階的にあげていきます。
*画像をクリックすると、拡大画面が別にたちあがります
プロジェクト型学習の内容は、プロジェクト・センタード・アプローチ(プロジェクトを通して実践的に学んでいく)を基にしています。プロジェクトのレベルは、上の図で示したように10段階に分かれています。
レベル感を少しご紹介します。レベル1では、マイプロジェクトのスタートにあたり、自分の気になることや想いなどを言葉にしていきます。レベル3以降では、自分のプロジェクトに、どのように人を巻き込んでいくかを考え、実践していきます。プロジェクトの事業化についてはレベル8以降です。このようにプロジェクトを中心に、必要なことを学んでいく設計になっています。

2.地域での「教育」に関わるようになった経緯

(1)「持続可能な島づくり」をビジョンに掲げる海士町への移住
海野:信岡さんが、地域や教育へ関心を持つようになったきっかけを教えてください。
信岡:大学卒業後、関西から上京、先輩と創ったITベンチャーの会社で働いていました。しかし、成長至上主義のシステムの中で働き続けることに少しずつ疑問を感じ始め、また、ハードワークで身体を壊したこともあり退社しました。この経験から、「持続可能な発展(サステナビリティ)」に興味を持つようになりました。
色々調べていく内、「持続可能な島づくり」をビジョンに掲げる海士町(あまちょう)の存在を知ったんです。2007年、友人と共に海士町に行ってみることを計画し、その時点で自分たちがやってみたいことを企画書にまとめ、海士町に3泊4日の旅をしました。あたたかく受け入れてくれた海士町の方々と出会い、僕はこの旅で海士町に移住しようと決めました。
海士町時代の信岡さん
【島根県隠岐郡海士町(あまちょう)】
海士町は、島根県の隠岐諸島の1つ。1950年代は7000人の島民が暮らしていたが、2000年代になると、人口は最盛期の3分の1、2400名弱にまで減少。社会課題が増大、町は存続の危機へ。
そんな中、 “ないものはない(※)”というキャッチコピーを掲げ、2004年から「海士町自立促進プラン」という行財政改革がおこなわれる。世代を繋げ、産業や教育を変えようとする動きと共に、Uターン・Iターンなどの移住支援や地方創生の取組みなどが活発化。現在では、地域再生の成功事例として有名。
※「ないものはない」については、海士町のオフィシャルサイト(こちら)をぜひご覧ください!
海野:信岡さんは、海士町が変わっていく様子を実際体験されているんですね。貴重な体験ですね。また、地域活性化の取り組みにも参加されたんですよね?
信岡:はい。私は、小さな町の中で、社会課題に対して人々がどのように向き合い、動いているのか、その結果どう町が変わるのか、という経緯を体感しました。
また、海士町で、志を同じくする仲間と起業しました。海士町からの委託を受け、地域を支える事業や、持続可能な地域の担い手を育むための教育事業をおこなってきました。それによって海士町内の多世代と繋がるだけではなく、地域を越えて多様な人たちと繋がることもできました。
取材時の信岡さん
海士町が取り組んだ施策の結果、移住者はどんどん増え、Iターン者は100人から600人まで増えたんですよ!
海士町の事業・暮らしは充実していたのですが、そんな中、2011年に東日本大震災が起こりました。震災地域の人口が減少していく様子を見た時、一つの地域だけが良くなるのではダメだと思ったんです。社会全体を変えていくためにどうしたらいいか…と考える中で、社会の基盤となるOSごと変える必要があるのではと思い立ちました。そのためには、大学という学びの場が必要ではないかと思い、現在のさとのば大学の構想に繋がっていきました。

(2)異質なものを認め合い、お互いを活かし合うコミュニティ
海野:“OSを変える”という言葉に強い意志を感じました。他にも、何かきっかけはあったんでしょうか。
信岡:これまで属してきたコミュニティでの経験も影響していると思います。過去いくつかのコミュニティに属してきましたが、それぞれに対して全く違う印象があります。
例えば、小学校時代。同質なものを求める子どもたちの関係性の中で、いじめを経験し、「人間は集団になると醜くなる」と感じていました。
しかし、その後、大学時代の友人とつくったシェアハウスで、コミュニティへの印象ががらりと変わりました。シェアハウスでは、小学校時代に無かった「異質なものを認め合う関係性」がありました。自分がありのままでいて居心地がよく「人間は集団によって創造性と美しさも表現できるんだ!」と感動を覚えました。
そして、より多世代と繋がって過ごしていた海士町では、このイメージがバージョンアップしました。世代を超えて多様な人たち同士が繋がり、それぞれを認め合っておもしろいことができるという「民主主義のこれから」を感じられました。
海野:なぜ、それぞれのコミュニティに違いがあるのでしょうか?
信岡:個人を減点評価するようなシステムの有無が、コミュニティの性質に影響を与えるのではないかと思っています。同質であることを求めると、異質なものは減点対象になります。また派閥化して、コミュニティが切り分けられてしまいます。
「全く違う世界観をもつ人間同士である」という考え方であれば、異質な人同士、違いをおもしろいと思えるし、互いをどうやって活かすことができるかという視点で動けるのではないでしょうか。
海士町時代の信岡さん
海野:確かに、お互いの違いを面白いと思ったり、お互いをどうやって活かし合うかを考えられたりすると、そのコミュニティでできることが拡がっていきますね!海士町では、島民の方がぞれぞれの個性を活かし合って、地域再生が進んでいったんですね。
海士町でのご経験以外にも、さとのば大学の構想に影響を与えた出来事はありますか?
信岡:海士町への移住前、東京でサステナビリティに関するさまざまな勉強会に参加していた時のことです。そこで出逢ったビジネスパーソンの言葉に衝撃を受けました。
それは、「自分は土曜・日曜は地球に良いことを学んでいるが、月曜から金曜は、モノを大量生産する活動に従事している。地球の破壊に加担してしまっているのではないか」という言葉でした。この言葉を聞いて、それでは足りないと思いました。
平日フルタイムで地球に良いことをする人を増やすためにはどうしたらいいのか…。方法がまだ無いのだとしたら、自らフルタイムで地球に良いことをするために身を投じていくしかないと、覚悟ができたことを記憶しています。
取材時の信岡さん

(3)地域共創カレッジを開校
信岡:東日本大震災後、関係地域の人口が減少し、地域にさまざまな社会課題があらわれてきた時、都会と地域の関係性を見直す必要があると思いました。
そこで東京に戻り、2016年、さとのば大学の前身とも言える「地域共創カレッジ」を開校したんです。異なるセクターの人たちを繋げる「社会人向けオンライン講座」(地域共創カレッジの詳細はこちら)でした。
海野:地域共創カレッジのwebサイト、拝見しました。共感する所が多々ありました!
~地域共創カレッジのwebサイトより~
都会には都会の便利なところと悩ましさがあり、田舎には田舎の便利なところと悩ましさがあります。田舎で起こる過疎化や一次産業の後継者不足、都会で起こるワーキングプアや待機児童問題。 これらはそれぞれ別の場所で起こる、別個の問題ではなく繋がりを持ったコインの表裏だと考えた時、都会と田舎の両方を行き来し、二つの問題を1つの複合的な解決策によってどちらにも嬉しい未来を創る、そんなことが出来る人が増えないものかと考えるようになりました。
信岡:都市に住んでいる人の中には、「地域の社会課題は自分に関係ない」と思っている人もいるかもしれません。しかし、人口減少から発生する課題は、今後都市でも起こりますし、より重みを増していくでしょう。
海野:都市部の人も、地域の社会課題への取組みに学ぶことが大いにあると思います。都市部と地域との繋がり方を見直す必要がある、地域で実践することに関わる人を増やす、という地域共創カレッジと、地域に身を投じて社会課題を体感し自分事化していく学生たちの学びの場であるさとのば大学。どちらも重なる想いがあるのですね!
●後編は、こちら

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