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元ラグビー日本代表主将から学ぶ 逆境やキャリアの転換期との向き合い方(前編)

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イベント

2020.11.19


【VUCAワールドを生き抜く】というコンセプトのもと、株式会社日本マンパワーでは、株式会社クリアソン様と共催で、トップアスリート研修体験会を定期的に開催しています。
先日8月28日は元ラグビー日本代表主将の廣瀬俊朗さんをお迎えし、オンライン体験会を開催しました。
体験会では、まずファシリテーターの神田さんから、なぜ今、ビジネスパーソンがアスリートから学ぶ価値があるのかをお話しいただきました。その後、廣瀬さんより、ラグビー日本代表チーム在籍時の逆境、そして、選手引退後のキャリアトランジションにどう向き合ってきたかをお話しいただきました。

今、ビジネスパーソンがアスリートから学ぶ価値とは?

【ファシリテーター】
神田 義輝(かんだ よしてる)氏
早稲田大学ア式蹴球部出身。リクルートキャリアにてキャリアアドバイザーを経験した後、Jリーグにて選手のキャリア教育プログラムの開発・運用、セカンドキャリアのサポートに従事。
アスリートキャリアサポートの第一人者であり、日本で最もトップアスリートの研修を行っている。
リクルート時代は転職決定数で日本一も経験。
現在、株式会社Criacao(クリアソン)・水戸ホーリーホック取締役、社団法人理事として多方面で活躍中。
※下記は神田さんのお話の内容をまとめたものです。
「アスリートは、環境変化の激しい世界に生きています。テクノロジーや技術の進歩が速いため、勝ちパターンはすぐに陳腐化します。例えば、イチローが世界最多安打を打った翌年に、バッティングフォームを変えた話は有名です。」
「また、厳しい競争環境の中で自分の市場価値を高め続け、明確な成果を上げ続けなければ淘汰されます。しかし、その一方で、ラグビーやサッカー等のチームスポーツでは、チームワーク力を高めることも求められます。次々とメンバーや監督が変わる中で、多様な価値観を持ったメンバーとコミュニケーションをとり、短期間でチームとしても成果をあげていかなければ、やはり淘汰が待っています。」
「変化が激しく複雑なVUCAワールドに身を置くアスリート。しかし、ビジネスの世界も今、急速にVUCAワールドに近づきつつあります。」
「このような時代に、VUCAワールドを生き抜いてきたトップアスリートの思考やあり方を学ぶことは、他組織を訪ね、そこで得た知見から自組織の課題解決策を見出す「越境学習」の意味合いからも有効であると考えています。」

廣瀬さんのキャリアストーリー

【登壇者】
廣瀬 俊朗(ひろせ としあき)氏
元ラグビー日本代表キャプテン
慶應義塾大学理工学部を経て東芝ブレイブルーパスに入団。
高校・大学・東芝・日本代表とキャプテンを経験し、エディー・ジョーンズ監督に「自分がラグビー界で経験した中で、ナンバーワンのキャプテンだ」と絶賛される。
現役引退後、ラグビー普及や次世代リーダー育成のために、株式会社HiRAKUを設立。
企業研修講師や講演・解説をする傍ら、TBSで放送された【ノーサイド・ゲーム】にて浜畑譲役で俳優デビュー。

失敗しながら作りあげたリーダーシップスタイルが、日本代表チームで結実

小学校~大学、社会人リーグの東芝ブレイブルーパスと、ずっとキャプテンを務めてきた廣瀬さん。きっと幼少時からリーダーシップを発揮されていたのだろうと思っていたら、意外にもそうではないとのこと。
「温度差のあるチームメンバーをまとめきれなかったり、偉大な先代キャプテンの真似をして『廣瀬らしさが無い、お前についていきたいと思えない』と言われてしまったり、失敗も沢山してきました。」
廣瀬さんが、“本質を捉えているか”という自分らしいリーダーシップスタイルを、模索の末に確立したのは30歳頃。キャプテンはメンバーに言葉で伝えることが多いので、本質を捉えて的確にずばっと言う。メンバーと接する際は、行動・言葉という表層の奥の本質の部分に何があるのか考えることを大切にされてきたそうです。
だからこそ、ラグビーWorld Cup2015に向け日本代表キャプテンをまかされた時、苦労しながら作り上げたリーダーシップスタイルが認められた気がしてとても嬉しかったと廣瀬さんは言います。しかし同時に、このチームをどう変えたらいいのかという悩みもあったそうです。
というのも、廣瀬さんがキャプテンになった2012年当時、日本はWorld Cupで過去たったの1勝しかしたことがありませんでした。1995年には、ニュージーランドに17-145で負けるという歴史的大敗も経験しています。
そのため、日本代表メンバーに選ばれても士気があがらず、自分の所属するトップリーグチームの方を気にかけるメンバーが少なくなかったと廣瀬さんは語ります。
そこで廣瀬さんはメンバーに対し、日本代表であることの優先順位を高めてもらうための働きかけから始めました。具体的には、下の3つを実践したそうです。
1、心理的安全性の構築 ~チームメンバーとニックネームで呼び合い、毎日声がけする~
2、チームビルディングの場の設定 ~試合前夜のスパイク磨き、国家斉唱の練習等~
3、権限委譲 ~メンバーが好きなこと・やってみたいことの中から、チームに役立つ役割・居場所を作っていく~
そして、メンバーの中で、日本代表であるロイヤリティ(帰属意識)が高まっていったあと、「自分たちは何のために頑張るのか」という大義をみんなで考えたそうです。
そこで決まった大義が、「憧れの存在になる ~日本のみんながラグビーを知っていて、応援される存在になる~」でした。
大義が決まった後は、ひたすらハードワークの繰り返し。厳しいけれど勝たせてくれるエディー・ジョーンズ監督の指導もあり、2013年6月のテストマッチで強豪ウェールズに勝利するなど、チームは良い方向に進んでいました。

キャプテンをおろされるという逆境

2014年春、廣瀬さんに試練が訪れます。エディー監督に、キャプテンから外すと告げられたのです。理由は、ウィングとしては足が遅く、スタメンとして出場できる可能性が低くなったから。
エディー監督は廣瀬さんに、「キャプテンとしては、いい働きをしてくれている。しかし、これからチームはもっと成長していく。World Cupでベスト8を目指すにあたり、あなたが常時出場できる可能性が低くなった。」と言ったそうです。
その時の衝撃を、廣瀬さんはこう語ります。
「ものすごいショック、言葉にならないようなショックでした。
どうやって受け入れようか、ずーっとずーっと考えている状態でした。
キャプテンじゃない自分が、これから求められるもの(役割)って何だろう?と頭の中がこんがらがり、整理がつかなくなりました。」
一時は、身体にも不調が出たそうです。立ち直れたきっかけは、まず仲間・家族の支えがあったこと。また、スポーツ心理学者・荒木さんとの対話を通じ、「日本代表をやめるという選択肢もあるけれど、やめたくない。やめないと決めたなら、自分でこれからの環境を良くしていこう」と心境変化があったことも大きいと言います。
「チームの大義『憧れの存在になる』は、キャプテンじゃなくてもできる。やれる範囲でやっていこう。
キャプテンを外された瞬間に腐った顔してたら、今まで自分がしゃべったことも全部陳腐になってしまう。つらい時こそ成長する。よっしゃよっしゃ、ほんと今こそ成長につながる頑張り時や。」
自分を奮い立たせながら、チームの大義・自分の人生の大義を貫き通した廣瀬さん。2015年World Cup日本代表メンバーに入れるかは、微妙だったそうです。しかし、仲間のケガによるチャンスの到来、若手選手へのサポート、リーダーシップグループの一員としての貢献が認められ、代表メンバー入りします。
残念ながら試合出場は果たせなかったものの、対戦相手のアタック分析、エールVTRのサプライズ放映等でチームに貢献、その後、日本代表チームは強豪・南アフリカに逆転勝ちします(※この南アフリカ戦の結果は、世界中で「ブライトンの軌跡」と報じられました)。
逆境から得たこと・逆境への向き合い方について、廣瀬さんはこうまとめてくれました。
<逆境を通して得たこと>
→逆境に立たされたからこそ、日本代表チームが「憧れの存在になる」ために貢献できることは何かを考え抜けた。
→試合に出ない人・裏方で頑張ってくれている人の気持ちがわかるようになった。
キャプテン2年間の光、メンバーを外されることも多かった暗闇の2年間。
両方経験できて、人としての厚みがうまれた。
<逆境への向き合い方>

1、逆境は、経験している時は本当につらい。
しかし、逆境から学んで得るものはすごく大きいと考える。未来からの視点に変える
と感じ方が変わってくると思う。
2、自分について知る。何のために何をやるのかという自分軸を強く持つ。
(チームの大義、自分の大義を貫き通せたのは良かった。)
3、1人で乗り越えるのは大変。普段から、しんどい時に支えてくれる仲間づくりを。
後編では、廣瀬さんの選手引退後のキャリアトランジション(転換期)についてのお話をご紹介します。
■後編は、こちら

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