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キャリこれ

Criacao Shinjuku×日本マンパワー クラブパートナータイアップ特別企画! トップアスリートの“キャリアのこれから” ~キャリアコンサルティングのプロが紐解く、小林祐三が歩み続ける理由~ 【後編】

インタビュー

対談

2021.8.6


クリアソン新宿小林祐三さんと弊社キャリアコンサルティング事業本部取締役田中稔哉のインタビュー後編です。あるワークを通して、小林さんのキャリアをさらに深く見つめていきます。
■前編は、こちら

小林さん、ライフラインチャートにチャレンジする

田中:せっかくなので、こちらのワークもやってみましょうか。
【ライフラインチャートとは】
これまでの人生を振り返り、「その時にどう思っていたか」を思い出しながら、自分自身の満足度を一本の線で書いていくワーク。なにが満たされている時に満足度が上がり、どんな時に下がったのか、下がってからどのように上がったのかを考えることで、自分が大切にしている価値観を探り出す。
ホワイトボードに自らのライフラインを書き始める小林さん。じっくり考えながら描き進めていきます。
田中:大きな山になっている箇所が二つありますが、ここではどんなことが満たされていたのですか。
小林氏:(幼年期について)周囲からすごくかわいがってもらったんです。その愛情の強さで心の強さも養われた、という確固たる感覚が今もあります。家族や両親の友人など、周りの方々が応援してくれたことが自分の根幹になっているので、人生のスタートはとても良かったと思いますね。
田中:すごいな。ちょっと待ってください。いつ頃からそのように実感されていますか?
小林氏:大人になってからです。なぜこんなにも「まあいいや」と考えられるのかな、と思って。自分は基本的に承認されてきているので、いわゆる承認欲求のようなものもコンプレックスもあまりない。言葉に言い表せないような生い立ちからのビハインドは、とても少ないと実感しています。
田中:それは、僕らのカウンセリング領域ではアタッチメント理論と言われるものですね。人を信じる力は幼少期に養われる。困ったときに人は助けてくれるものだ、とか。自分を承認してくれる人たちが周りにいることで、危機に瀕した時に戻れる場所を心の中に持てる。そういう理論です。虐待を受けていたりするとそれが逆になり、人は誰も助けてくれない、という学習をしてしまう。
小林氏:小学生になってからは、満足度が落ちていきました。早くからサッカーを始めたので最初はリードしていたのですが、周りの子にだんだんと追いつかれてきて……。人に追いつかれるって、つらいじゃないですか。
田中:やっぱり独特ですね。勝つ喜びよりも追い付かれるのが嫌だったんですね。
小林氏:小学校はもう、追い付かれたこととの闘いでした。その後中学に上がってからは、自分自身の思考が整理されてきたこともあって良くなってきました。15歳の時、僕は一度人格の完成を迎えたんですよ(笑)。
田中:えっ、どういうこと!?(笑)
小林氏:今の自分の根幹になっているところが、15歳のときにできあがったんですよ。思っていることや考えていることが、今とあまり変わっていないんです。
田中:へえ、すごい早熟ですね。
小林氏:そうなんです。で、ここ(最も下がっているところ)は高校生活が嫌すぎて……。主に部活ですが、人生がもう真っ暗でしたね。そこからまただんだん上がってきて、プロになれてからは基本的に右肩上がりです。
田中:今回聞いてみたかったのは、柏レイソル在籍時に経験した、2006年のJ1昇格が線状のどのあたりに来るのかな、ということです。
小林氏:(20歳を過ぎたあたりを指さして)時期としてはこの辺ですね。プレーヤーとしての人格が一度形成された時期が、ちょうどここにあたります。2005年のJ2降格がプロ生活の中で最もつらかったことで、2006年のJ1昇格が感情的には最も嬉しかったことなんです。短期間にその両方をいっぺんに味わったことで、精神的にブレなくなりました。あとはもうキャリアを積んでいくだけだ、と。
田中:一番高くなっているところは、マリノスにいた頃ですか?
小林氏:はい。あくまでも僕は右肩上がりのキャリアで、プロとしては完全に晩成タイプですね。自分自身のピークは28歳。プロ入り10年目でやっとなにかを掴んだというか。
田中:ありがとうございます。下がった地点から立ち直るところについても聞いてみたいです。立ち直ったときはどんなことを考えていましたか?
小林氏:時間が解決しましたね。高校の部活では地獄を見たので、もうそれ以降はここが底だというふうには思うことはありませんでした。
田中:ありますよね。僕もいつも思い出す「ある時点」があるんですよ。あのときよりはマシだろう、と。

「前に進める」

田中:小林さんがインタビューの中で割とよく使われる言葉に、「前に進ませる、前に進めることができる」というのがありますね。クリアソン新宿に入る時も、サガン鳥栖に入る時もおっしゃっていたと思うのですが、小林さんにとって「前に進める」というのは、どんなことを進めていくイメージですか?
小林氏:クラブのカテゴリーや格を上げるという意味ではありません。そのクラブが体現したいものに向けて進む際に、自分には何ができるかを考えて、それを実行する自信がある、というイメージですね。
たとえばサガン鳥栖であれば、どんな背景があって今J1にいて、Jリーグやスポーツの世界、あるいは佐賀県鳥栖市の中で、これからクラブとしてどのような役割を担っていくべきなのかを考えて、自分がそこで何をすべきか、何をしたいかというのを考えながら行動していきたい、という決意表明です。
また、その組織の目標や表現したい姿に向かっていく中で「こういう可能性もあるのでは」と客観的に提示するのも好きです。それも、「前に進める」という言葉に内包しています。

「今」振り返る、株式会社Criacao入社という挑戦

田中:クリアソン新宿への加入と同時に、株式会社Criacaoにも入社されました。株式会社Criacaoも、まさに理念的な集団ですよね。改めて、今日いろいろとご自分のことを振り返ってみた中で、今回の意思決定をどんな経緯や思いで決められたのか伺ってもいいですか。
小林氏:“普通の人”代表としての使命感を持って決断しました。僕は、スポーツ一家に生まれてこなかったことにも、まったく才能がないのにここまで数字を残せたことにも、なにかしらの理由があると思っています。サッカーがいわゆるすごい人たちや能力の高い人たちだけのものにならないために、こういう数字を残させてもらったんだ。こんなに普通で、ここまでの数字を残した奴はいない。と自負しています。だからこそ、プロサッカーという世界に完全に適合することができなかったし、自分の中でも適合しようとしなかった。
逆にクリアソンは、スポーツをパフォーマンスが高い人たちだけのものするのではなく、多様な人たちにさまざまなスポーツを通じて、価値を提供し豊かさを表現できる、と本気で思っている組織なんです。
サッカー界で見ると比較的競技力が高い部類に入るような自分が、このように決断し、仕事もサッカーも本気で頑張り、自分のキャリアを使ってそういう価値観を提示できれば面白いな、と今改めて思っています。
田中:サッカー選手として数多くの試合に出て成功して、実績もある。そんな小林さんがクリアソンに入られたというのは小林さんの使命というか、意味があることなのでしょうね。
小林氏:言葉を選ばずに言ってしまうと、別にやらなくてもいいんです。ある程度実績があるので、サッカー界にいた方が楽なんですよね(笑)。でも、やらなくてもいいけれどこんなに頑張れる、という環境を自分で選んで挑戦がしたかった。誰かに褒められたいとか、自分でポジションを取って影響力を持ちたいとかではなく、ただ自分がどこまでがんばれるか。そういった類の挑戦なんです。

「小林さんらしさ」とはなにか

田中:プロになる時や静岡学園に入る時、今回の決断をする時に「小林さんらしいね」「小林祐三さんらしくいてね」と周囲から言われたそうですが。
小林氏:プロになる時に兄に言われた言葉は、今でもずっと大事にしています。「成功しなくていい」と。それで視界が開けた。なにかをしなきゃいけないって本当につらいじゃないですか。なので、自分には帰ってくる場所があるし、せっかくプロになれたんだから、自分らしくこの世界を楽しもうと思いました。今も同じです。
田中:皆さんがおっしゃる「小林さんらしさ」というのは、どんなことを指しているのでしょうか。
小林氏:「あなたの頭を一度通しなさい」と言われている感じです。物事に対して、自分で一回考えてみれば「らしく」なる。僕は、納得できないことを言われたままにやる、というのが得意ではないのです。自分の頭で考えて、何の意味があるのかを考えなければ動けないタイプ。もしかしたら仕事の遅さもそういうところが影響しているのかとも思いますが、それは習性として染みついてしまっているもの。なので、自分の中で一度自分の価値観と照らし合わせてから何かを選択すれば、たとえそれがどのような道であれ、僕の中では「らしい」決断になるのかな、と思います。
田中:ありがとうございました。昔のお話もたくさん聞かせていただきましたね。
~編集者として立ち会っていた日本マンパワーのメンバーからも、質問が出ます~

今回小林さんがクリアソンに加入され、いわゆる「普通の人の一派」としてやって行くぞ、と決められたきっかけは、なにかありましたか?

小林氏:プロに入ってすぐの頃、いわゆる競技力が高い人たちのコミュニケーションの取り方や、その他いろいろな面に違和感を覚えたんです。中学校まではわりと普通の人たちと一緒にサッカーをしていたので人間性のズレのようなものはあまり感じなかったのですが、高校やプロに入ってから、あっ、自分はこの中では少し違うかも……と気づきました。その時はやっぱりつらかったです。サッカーが大好きだし、もっと追求していきたいのですが、そうするとこの人たちとずっと一緒にプレーしなければいけない、と……。
田中:サッカー選手という物差しだけでは勝てない人もいるのかもしれませんが、ご自身の頭を通して物事を考えたり、あるいは音楽でご自分を表現されたりしている、「小林祐三一人の人間」としては負けていないという感じがあるのでは、と感じます。
小林氏:その話は、クリアソンの井筒と初めて会った時にも話しました。サッカーもそういうプライドで勝つんだよ、と。
田中:ああ、なるほど!圧倒する感じですね。
小林氏:18歳の時、僕はもう無理だと思った。サッカーは、こういう限られた人たちのものじゃないかって。でもそれが悔しかったんですね。そういう人たちだけのものにしたくはなかった。僕が世間からどのように見られているかはわかりませんが、普通側の代表として、その使命があるんです。
だからクリアソンでも成果を出したい。いわゆるスポーツの価値やアスリートの価値は未だかつてあまり明確に言語化されてきていないので、それを伝えたい。17年間プロサッカーをやってきて大学も行っていないので、もう21年のビハインドではあるのですが、それを言い訳にしたくないですし、僕が駄目だったらもう駄目なんじゃないか、とも思うくらいです。ものすごく負けず嫌いなので。
田中:両面でいこうとするのがすごいですね。普通の負けず嫌いとは違うというのがよくわかりました。
小林氏:小学校の卒業文集にも書いてあるんですよ、僕は「サッカーだけの人になるのは嫌です」って。何様だよって思うんですけど(笑)。

小林さんは、立ち止まらない

今改めてお聞きしたいのですが。株式会社Criacaoにも入社されて、サッカーとビジネスパーソン両方のキャリアを歩み始めていらっしゃいますが、入社した当時と今を比較して、マインド面で変わらないところと、逆に変わったところはありますか。
小林氏:基本的に変わっていません。このチームで結果を出したいと本気で思っていますし、自分がクリアソン新宿でサッカーをする理由も、この後の練習を頑張る理由も、あまり大きくは変わっていないですね。
変わったところといえば、チームメイトや会社のメンバーとの関係を築いていく中で、この人たちと一緒に目指すものを実現できたら、シンプルに楽しそうだなという気持ちがすごく出てきました。
同時に、覚悟はしていたものの、こっち側で結果を出すのは思っていたよりも難しいとも感じています。まだ入社して半年なので仕事の輪郭は見えてこないし、自分が担当している業務量も少ない。そういった面では、ちょっと喋れるアスリートあがりの35歳、という域からはまだ出られていないと感じます。
ただ、そこに絶望していてもしょうがない。わからないからといって一歩止まらずに、とりあえず一日一歩を踏んでみる。その積み重ねでしかないですからね。そこは、サッカーとそこまで大きく変わらないところでもあると思います。止まってしまえば、もう傷も負わないかもしれないけれど、何かができるようになることもないと思うので。
田中:本当にありがとうございます。楽しかったです。試合の応援にもまた熱が入ります。思い入れが強くなりました。
小林氏:ぜひお願いします!僕がこの仕事をやっていて一番嬉しいのは、選手について立体感を持って見ていただけることなんです。こうして一緒にお話しさせていただくと、クリアソン新宿の51番ではなく、横浜F・マリノスの13番ではなく、一人の人間として応援してもらえている強い感覚があるので。引き続きよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
株式会社Criacao入社の背景にある小林さんの厳しいご経験、そこから生まれた決意と使命感に触れ、胸が熱くなりました。
自分の経験と強みを活かしながら、今いる場所で何をすべきか、何をしたいかを熟考することは、個人のキャリア開発においてまさしく欠かせないものです。
新たな挑戦の場となるクリアソンで、小林さんが「らしさ」を存分に発揮しながらどのように歩みを進めていくのか、今からとても楽しみになりました。
二社間のパートナーシップにおいても、互いの理念を共有し深め、より豊かな価値を創造したいものです。もちろん、週末には全力で試合を応援してまいります!(小池)

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