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キャリこれ

私たちはイイ歳(とし)をして、なぜ学び、何を学んだのか?(前編)

対談

連載記事

2023.7.14


大きな社会的テーマとなって久しいミドルシニアの働き方。定年や役職定年・・・そんな既成のルールを軽々と超えた、一人ひとりの働き方やキャリアが生み出されてこそ、組織や社会はもっとイキイキしたものになる。そんな「三方よし」の実現を目指してキャリアのこれから研究所が立ち上げた「超年齢プロジェクト」。今回は60歳前後で社会人大学院に挑戦した二人の方に対談して頂きました。リスキリングという言葉が急速に広がりを見せていますが、「すぐには役に立たないかもしれないけれど意味がある」学びの本質や楽しさについて語ってくださいました。
○対談されたお二人のプロフィールはこちら

1.なぜ学ぼうと思ったのか?
酒井
田中さんが、社会人大学院に入学された動機はどのようなものでしたか?
田中
今後のキャリアを考えたときに、実務家教員として大学や大学等で教えるのもいいなと前々から考えていました。その為には、私自身が社会人大学院できちんと学ぶ必要があると思い社会構想大学院大学の説明会に行った時に、修士課程ができるという話を聞き、受験を決めました。
もうひとつは、研究の動機です。これまでキャリアコンサルタント養成講座で提供してきた学びが現場でどのように役に立っているのだろうか・・・という点がいまひとつ見えない。自分の現場経験を通じても確かに傾聴や経験代謝など役に立つのですが、実は講座ではあまり扱っていないアドバイスや自己開示が、現場ではけっこう役に立っているのかもしれない。そのあたりを改めて調べてみたいと思っていました。
酒井
大学院に入られる前に、どなたかにお話を聞かれたり、リサーチをされたりしましたか?
田中
大学院に行かれた知人数名に聞きました。今まで心理学やキャリアについてはそれなりに勉強してきたので、酒井さんと同様に、少し軸をずらしたところで学ぶ方が面白いかもしれない、と思いました。
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酒井
私は2019年の3月31日に定年退職して翌4月1日に起業したのですが、次のキャリアを始めるに当たって、改めてガッツリ学ぼうと決めました。
そして、私の会社の理念である「創造的な人生を、全ての人に」に沿ったものを探究したいと思いました。「逆張り」という言い方もしますが、自分の領域のキャリアと一見かけ離れたものと組み合わせたときどうなるんだろう、という興味で美大の大学院に行こうと思いつきまして。ちょうどその時に、武蔵野美術大学が美大の知見を文系・理系の高校生や社会人に提供するコースをつくると聞いたので、飛び込みました。
田中さんも設立された大学院の研究科の1期生ですね。
田中
そうなんですよ。
酒井
1期生って面白いですよね。
田中
入学した学生の皆さんも面白い人ばかりですよね。まだ卒業生の実績もなく、よくわからないけれど、学びに来ている変な人たち(笑)。
酒井
1期生って実験台ですもんね。
酒井
社会構想大学大学院は、どういう目的のもとに設立されたんですか。
田中
「サステナブルな社会をデザインし、その実現に向けて貢献する人材を育成する」という理念がベースにあって、2つの研究科があります。コミュニケーションデザイン研究科は大手企業や自治体の広報担当が多いようでしたが、私の実務教育研究科に入学して来た人は、製薬会社のMR(Medical Representative:医療情報担当者)や生命保険の営業職、研修設計者や講師、柔道整復師など、それぞれの領域で専門家として活躍している人たちでした。共通しているのは「専門職はどのように育つ(育てる)のか」ということについて、実務家が持っている暗黙知をきちんと形式知化するような研究をして論文にすることが課されていることです。
酒井さんが行かれた大学院には、あらゆる領域のデザインに関わる人たちが集まっていたと思いますが、私の方はあらゆる分野の専門職の育て方を学ぶということが特色でした。

2.研究テーマと課題意識
酒井
「ネガティブ・ケイパビリティ」を研究テーマに選ばれた理由はどのようなものでしたか?
田中
先ほどお話ししたように、最初は講座の内容がちゃんと役に立っているのかを確認できたら良いなと思っていたところ、帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)さんが書かれた「ネガティブ・ケイパビリティ」という本に出会い、それまで持っていた問題意識を解決する糸口になるかもしれないとすごくインスパイアされたんです。
「問題を解決しないままでいる力」「答えの出ない状態の中で曖昧さに耐える力」のようなものですね。これがキャリアコンサルタントに十分に理解されていないから、喋りすぎてしまったり上から目線だと言われたりするのではないか、という気付きを得ました。
要は、キャリアコンサルティングを表面的なテクニックとして捉えても駄目で、そもそもの「ありよう(to be)」を学ぶ必要があるということですね。
これをうまくカリキュラム化して、そういう姿勢が大事なんだということを理解してもらいたいと思って、このテーマに絞りました。
酒井
論文を拝見して、「ネガティブ・ケイパビリティ」というものは全ての人が身に付けるべきもので、だからこそ対人支援職であるキャリアコンサルタントに必須の知識だと感じました。
田中
仰る通りで、キャリア支援職が身につけるべき姿勢・あり方だと思います。キャリアコンコンサルタントとクライアントは相似形のような関係で、まずコンサルタントがネガティブ・ケイパビリティを身に付けることでクライアントが身に付け、更に周囲に広がって行けば良いなと感じています。学校などのこれまでの教育の中では、「早く答にたどり着く力」が良しとされている中で、これを身に付けるのはなかなか難しいかもしれませんね。
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酒井
私の場合は、モノ好きなことに二つの美大の大学院に行きました。1回目の大学院でイノベーティブな人材のキャリア開発・組織開発を研究したのですが、一つの企業の中ではとても解決できない、これは社会の構造を何とかしなければいけないという結論に至りました。そのような問題意識が芽生えた時に「キュレーション」という考え方に巡り合いました。キュレーションとは、展覧会を構想して展示全体をデザインしていくという役割ですが、最近はインターネット空間における情報編集の意味にも使われています。
また、ムサビの時には、どちらかと言えばデザイン領域を学んだのですが、もう一方のアートについてもっと学びたいと思い、京都芸術大学・超域ラボの門を叩きました。
アートの領域でもソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)といって、作品を作るというよりもアート界の中に閉じずに、多様な領域の人たちとより良い社会作りをしていく活動が広まっています。私は、その代表的な存在であるインドネシアのアーティスト集団・ルアンルパを研究して、領域を横断して協働することによって現在の社会が抱える課題を解決するヒントを得て、それを実践する「働くひとの芸術祭」という構想を論文化しました。その問題意識は、文化人類学者のデヴィッド・グレーバーが提起した「ブルシット・ジョブ(クソつまらない仕事)」現象にも通じます。「ブルシット・ジョブ」とは、仕事自体の貴賤を言っているわけではなく、働いている本人が自分の仕事をそう認識していることを指します。一方、社会的に意味のある仕事ほど報酬が少ないのはなぜか。それはコロナによって注目されたエッセンシャル・ワーカーの存在によって表面化しました。
田中さんの論文の中にも、今後ますますキャリアコンサルティングが必要とされる理由として、人生100年時代、技術革新やジョブ型といった様々な環境変化を挙げていらっしゃいましたね。

3.環境変化、ガウディの言葉、ネガティブ・ケイパビリティ
田中
コロナ禍でのエッセンシャルワーカーをはじめ多くの職業で、まさにこの数年、先が見通せない中で答がなかなか見つけられない、「見つける努力を続ける」状況が続いています。その状態でこらえながら、どうやっていくかということが大きなテーマになっています。そうした状況の中で「自分のキャリアを自己決定しろ」と言われても相当つらいですよね。なので、正解を探すのではなく、自分の選択がよかったのかどうかを考え続けて、それを選んだ自分というものを自分から正解だったように作り変えていく。そういうことが必要な時代になってるんだろうなと感じています。先に答えありきという考えを放棄して、誰も答えを持ってない時代の中でも、希望を持ちながら日々自分で意思決定していかなければいけない。コロナ禍という先が見えない状況をきっかけにネガティブ・ケイパビリティという言葉が急速に注目されたのは、そういう背景があると思います。
キャリアコンサルタント講座のテキストを翻訳された枝廣淳子さんもネガテイブ・ケイパビリティの本を出しました。
枝廣さんが活動されているSDGs自体が、誰にも飢餓をなくすということ、CO2削減や資源・エネルギー問題など、ジレンマ・トリレンマを抱えていますよね。様々な課題に対して何もしないでいいのかという葛藤や矛盾を抱えながら、何かをやろうとし続ける、答えが出てからやるのではなくて、答えがない状態の中で何か活動し続ける力みたいなものは大事だと思うんです。
キャリアも同様で、Happenstance Learning Theory(計画された偶発性理論)のように、行動している中でチャンスが巡って来るという考え方もある一方で、ネガティブ・ケイパビリティの場合は、チャンスが来たかどうかわからないけどジタバタとでも動こう、行動し続けてそれが当たったかどうかは、答えを出さずに保留しておこう、という考え方です。
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酒井
「実験し続ける」という感じですね。その考え方は、いま広がりつつある人的資本経営の根底にある「株主資本主義からステークホルダー資本主義へ」という思想にも通じますね。これ(ステークホルダー資本主義)って誰が言い始めたんだろうと調べたら、世界経済フォーラム(ダボス会議)を設立したクラウス・シュワブという経済学者でした。彼が1970年に提唱したのですが、第二次世界大戦後の経済復興や急速な工業化の中で、「より多く、より速く」目的を達成する風潮に対して警鐘を鳴らしたいという想いがありました。ところが、欧米では受け入れられず「三方よし」や長期的志向がある日本では理解されたそうです。そして今、コロナなどの状況によって全世界的に見直されてきた。「より多く、より速く目的を達成しようとする」ことへの反省が改めて芽生えているということですね。
昨日、アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリアを取り上げたNHKの番組を観たのですが、その中で紹介されたガウディの言葉がいいなと思いました。「神は完成を急がない。諸君、明日はもっと良い仕事をしよう」という言葉です。
田中
移ろいゆく時代の中で、長期に渡り作り続けられるのですからね。まさに、サクラダ・ファミリアはネガティブ・ケイパビリティがないとできないかもしれないですね。人がいかに生きるべきかというのも、何かある具体的な形を目指していくのではなくて、一生考え続けるテーマですよね。「ありたい自分」というのは考え続けるものであって、固定化するものではないと思います。
酒井
「ネガティブ・ケイパビリティ」という考えは、すごく東洋的な感じもしました。
田中
はい。突き詰めていくと、無常感とか、私を空しくするといった方向に行くのだと思うんです。答えが出ない時には「直感を大事にしよう」と言われますが、ネガティブ・ケイパビリティは直感を大事にするけれども、その直感にも疑問を持った方がいいという考え方です。
キャリアコンサルティングも同様に、「この人はこういう人」という見立てを持ちつつ、一方で「その見立ては本当だろうか」と保留する力を持つことが大事だと思います。
酒井
今後、ネガティブ・ケイパビリティを、特に企業内におけるキャリアコンサルティングにどのように活かしたら良いでしょうか?
田中
バイアスの話に近くなってくるのですが、企業内では「あの人はこういう人」というレッテルを貼りがちじゃないですか。でも人間はいろんな場面でいろんな要素のモザイクのような状態であるという意識を持っていないと、人間関係が固定化したり1回マイナスの評価がついた人が回復できなかったりするといった不幸な状況が発生します。そのような事態を生まないために、企業内の特に管理職やキャリア支援職はネガティブ・ケイパビリティの知識や素養を身につける必要性があると思います。

田中 稔哉(株式会社日本マンパワー代表取締役会長、キャリアコンサルティング協議会副会長)
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メーカーで人事(採用・教育・労務・人事企画)業務に携わった後、コンサルティング会社にて新規事業開発、関連会社経営に従事。就職氷河期の大学生の就職支援事業の立ち上げを経て、日本マンパワー入社。日本マンパワーではキャリアカウンセラー(CDA)養成講座の開発、日本キャリア開発協会(JCDA)の立ち上げへの参画、大学・高校向けキャリア教育プログラム開発、行政機関への雇用対策事業の提案受託後の運営、ジョブカフェのチーフカウンセラーなどの業務を経験し、現在は同社代表取締役会長。キャリアコンサルティング協議会副会長。公認心理師。1級キャリアコンサルティング技能士。国家資格キャリアコンサルタント。CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)。精神保健福祉士。
酒井 章(株式会社クリエイティブ・ジャーニー代表、キャリアのこれから研究所プロデューサー)
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広告代理店を退職後、起業。同時に武蔵野美術大学造形構想研究科修士課程に入学。研究テーマは「先見の明のある人財のキャリアのデザイン、組織のデザイン、社会のデザイン」。同大学院修了後、引き続き京都芸術大学芸術研究科(超域ラボ)で現代アート視点から「働くひとの芸術祭」構想を研究し修了。