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キャリこれ

私たちはイイ歳(とし)をして、なぜ学び、何を学んだのか?(後編)

対談

連載記事

2023.7.14


大きな社会的テーマとなって久しいミドルシニアの働き方。定年や役職定年・・・そんな既成のルールを軽々と超えた、一人ひとりの働き方やキャリアが生み出されてこそ、組織や社会はもっとイキイキしたものになる。そんな「三方よし」の実現を目指してキャリアのこれから研究所が立ち上げた「超年齢プロジェクト」。今回は60歳前後で社会人大学院に挑戦した二人の方に対談して頂きました。リスキリングという言葉が急速に広がりを見せていますが、「すぐには役に立たないかもしれないけれど意味がある」学びの本質や楽しさについて語ってくださいました。
ここからは、その後編です。
前編はこちらから
○対談されたお二人のプロフィールはこちら

4.今回の研究を今後の実務にどう活かすか?
酒井
今回の研究を、今後どのように実務に生かしていきたいですか?
田中
キャリアコンサルタント養成講座の中に入れ込もうと思っています。「人を理解する」とはどういうことか、相談者の見立てはどのようにするのか。「人は理解できない、だからこそわかろうとする努力を続ける必要がある」ということに気づいてもらえるセッションをいくつか入れようと思っています。言ってみれば「絶望を受け容れた上での努力」のようなものですね。
酒井
「絶望を受け容れた上での努力」について、もう少し詳しくお話し頂けますか?
田中
「人をわかることができない」ということを受け容れた上で、それに対して少しでも他者に近づこうとする努力を続ける営みを支えるのがネガティブ・ケイパビリティだと思います。そして、わからないままでいる状態を支えているのは「人が成長する力、そして人と人との対話の力への希望」ではないでしょうか。
酒井
私の場合は、1回目の大学院では研究成果を実務に活かすことをかなり意識して、ムサビの研究所と「創造的組織文化」についての共同研究などを行っています。しかし、2回目の大学院の研究(働くひとの芸術祭)については、いきなりビジネスにするのではない小さな社会実験をやって行こうと思っています。

5.大学院での経験は、自身にどのような気づきや学びをもたらしたか?
酒井
では、ちょっと研究から離れて、改めて大学院での経験を通じて、どのような気づきや学びがあったのかをお話し頂けますか?
田中
全然違う職業でも「専門職を育てる」という点で、かなり似通っていると思いました。営業にしても、柔道整復師にしても、人を相手にしてるので、人間関係の作り方という点ではどの職業も一緒だなと。例えば私の同期でMRという専門職を研究した人は優秀なMRのインタビュー調査をしたのですが、薬の知識はほとんど関係なくて医者との関係性が最も重要だそうです。柔道整復師の人も患者への個別対応なんですよね。「ここが痛い」と言われた時にどれだけ決めつけずに見立てのバリエーションを持つことができるか。
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「外れ値探し」という言葉があります。AIは外れ値を除外して、最大公約数的な正解を引っ張り出そうとするわけですが、対人支援の仕事って「今までにはいなかった人だ、外れ値じゃないか」と思って相手を見ている。「今までのパターンや自分が知っている誰かと似てる」と当てはめようとする心を抑えて、「いや、この人は違うかもしれない」と自分の見立てを疑うことで初めて人それぞれの固有性が見えて来るところがあるのだと思います。なので、対人支援はAIにはできないと思うんですよ。今までの経験則と違う相手だろうと思って接してないと今まで学習してきた経験則でモノを見てしまいます。
大学院の学び自体が、研究テーマを決めて深くどこまで先行研究を読み込むかって際限がないじゃないですか。いつまでにどこまで深く探求するのかを自分の裁量で決める上で、正にネガティブ・ケイパビリティが必要でしたね。
酒井
私も大学院に入って初めて、ここは学習機関ではなく研究機関だと気づきました(笑)。同じゼミでも多彩な学び方があって面白かったですね。京都芸大のときは、現代抽象画の巨匠のゲルハルト・リヒターを研究した人がいました。指導教官からリヒターを研究しなさいと言われて。ものすごく難解なんですよ。本人は当初は抽象絵画に全く興味がなかったんですが、先生から言われたからとにかく探求してみようと決心して、2年間ガーッと深く研究し続けたんですよ。去年、リヒターの展覧会が国立現代美術館で開催されたんですが、14回行ってるんですよ!行くたびに新たな発見があると言ってました。最終的に、先生から「あなたは日本でリヒターに詳しい10人の1人に入る」って言われて。わからないものを探求し続けて、専門家クラスになってしまう学び方もあるんだな、ということを学びました。
田中
すごいですね。一方ちょっと思ったんですが、学び方という点では、私も酒井さんも、ある種の経験や専門領域を持っていますよね。同じ講義を聞いても、それぞれが専門とする立脚点が違うと、つかむところとか考えるところが、人によって全然違うなと思いました。「あ、そこに引っかかるんだ」みたいな。
例えば「足場掛け」という言葉を聞いた時に、私はキャリアコンサルティング的な目線で理解するけれど、他の人は全く別のイメージをしている。
酒井
違うことを研究しているけれども共通するものもありましたか?
田中
ありましたね。例えば、非ネイティブのグローバル人材がいかに育ってきたかを研究しした人がいました。幼少期に海外経験は無いのですが、グローバル企業の日本法人で外国語を使ってバリバリやっていて。自分のようなキャリアがどのように育まれて行ったのか、それを測るツールが、キャリア面談で使うライフラインチャートなんですよね。その人が物心ついたときから、いつどのように外国との接点があったのかをライフラインチャートを描いて満足度の線を引いて、インタビューして、質的分析をしていました。
酒井
京都芸大では7人の同期と一緒に小さなギャラリーで修了制作展をやりました。その中の、アート活動をやっていらっしゃる方が、各人の研究に頻出するキーワードを配線図のように天井に張り付けたんですよ。天井の中心部にはお互いに共通する言葉を貼り付けました。それによって、テーマは異なっても、先生が頻繁に使う言葉や時代性のある言葉など、お互いに重なる部分が多いことが可視化されたんです。
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(修了展の会場風景)

6.学び直しをする意味とは?
酒井
大学院に行かれたのは何歳のときでしたか?
田中
58歳で入学して60歳で卒業です。
酒井
その年で、学び直しをする意味とはどのようなものだと感じられました?
田中
私はわりと学び癖がついていて、ずっと継続して学んでいます。大学院在学中にも公認心理師の勉強をして、資格を取りました。いくつになっても新しい学びは刺激がありますね。全然異質な世界の人たちと話してみると、「こうした方がいいんだ」という思い込みが強くあったんだな、と何度も気づかされました。ネガティブ・ケイパビリティにビビッと来たのは、自分自身が効率的に問題解決を志向するポジティブ・ケイパビリティの要素を具えているからだと思いました。なので、研究が自分への戒めにもなりました。
あと、なかなか駄目だとか批判的なことって言われなくなってる中で、先生や学友からは、それはもう素直に指摘されてよかったですね。
酒井
私も最初の大学院の同期の平均年齢は、おそらく30歳ぐらいだったと思います。大学からそのまま大学院に入ってきた子たちなんて容赦なくて、「代理店出身って何ができるの?」って言われるわけですよ。デザインできないしイラストレーターも使えないんでしょ。何ができるの?と言われて。「自分には何ができるんだろう?」とハッとさせられました。
田中
それを聞いて思い出したのは、入学当初の時って、「キャリアカウンセリングとは」みたいな前提を説明せずに話しちゃうんですよ。すると伝わらない。そもそもそれって何ですかとか、何のためにやってるんですかとか、面倒くせえなと思って(笑)。今までいかに説明せずに話をしてたのかに気づかれました。「何のためにそれやってんですか」とか「儲かってんですか」とか、根本的なことを聞かれると、そもそも自分自身がよくわかってなかったことに気が付くこともありましたね。
酒井
私の場合は、アートって調べ始めるといろんな領域にまたがっていくわけです。哲学や文化人類学やら、もう際限がない。結局「自分って何も知らなかった」ということを知らされるっていう場ですよね。
田中
それは私も思いましたね。社会学系も、ルーツをたどると哲学とかに行ってしまうし広がりがあって際限がないですよね。

7.蓄積され、熟成される
酒井
そういう「自分はまだまだだな」という経験をされたことを今考えるとどういうふうに感じられてますか?
田中
そういうときの学びって「今、必要だから学ぶ」ということと「その研究の先にある将来のために学ぶ」ということが一致しているんですよね。ある種、強いられてて学ぶ。僕はそういった環境を自分で作らないとできなかっただろうなと思いました。
難しい本でも、ほとんどがわからないんだけれど、読み進むうちに所々にハッととさせることがある。そういうことに気づくは、大学院で学んだからだと思います。
酒井
私も大学院に入る前の学びって「何かの役に立つもの」が先に立っていました。でも、大学院で学んだからと言ってすぐに役に立つものでもないけれど、何か熟成されるもののような気がしています。多分何か蓄積されてるでしょうし、ある時間が経ってから何か生まれてくるものなのかな、という気はしています。
田中
大手企業の人の学び直しの話を聞くと、どうしても「元が取れるのはどういう学びでしょうか?」という先に答えを見つける発想になっている気がします。そう思いがちになるのはわかるけれども、そこはちょっと横に置いて、揺らぎに沿って気になることを勉強することで、何か先が拓けて来るという考えもあると思います。
時間もお金もかかるからそれだけの投入コストに対してリターンを求める気持ちはわかるけれど、すぐには求めてはいけないってことですよね。
ただ、そこに入って学び始めたら徐々にリターンはあります。お金って意味じゃなくて。学ぶ姿勢とか「知らなかったことを知る」とか。「知らざるを知る」って大事じゃないですか。ネガティブ・ケイパビリティって「足るを知る」と「知らざるを知る」なんですよ。
酒井
次に学びたいものってありますか?
田中
一昨日、日本放送作家協会がやっている東京作家大学の説明会に行って来ました。小説でも書いてみようかと。もちろんネガティブ・ケイパビリティの要素を盛り込んで。
酒井
面白いですね!私は、とりあえずガッツリ学ぶのはひと休みして、仕事を通じてつながりが生まれた色々な地域から学んだり、苦手なWeb3などのテクノロジーに挑んだりしてみようかと思っています。引き続き、お互い「逆張り」ということで。本日は、ありがとうございました。
田中
ありがとうございました。